2010年 12月 31日
ミュージック・ポートレイト~人生が1枚のレコードだったら~
これは秋口に、「SONGS」の後、予告がチラッと映り、バックに「ひこうき雲」が流れてて、気にはなったのですが、チェックし損ね無念だった番組で、不意に今、再放送。記事は年越しになりそうですが、やはり今年のブログ締めは、この番組+「ひこうき雲」を挙げておきたいと思います。< (C)クラウンレコード(株)→>
録画セットはしておいたのですが、オンタイムで点けた時、丁度正隆氏が最後の「ひこうき雲」について語ってる核心の所。
彼女との出会いで、暗黒時代から救われたんだけれど、深く喧嘩する度に、不覚にも口にしてしまうのは、俺の人生を返せ、という事で、お前のためにずっと俺の音楽は捧げてきた、という意味合いで、自分の音楽性は全て彼女の作品にあって、自分の名はその中に溶かしてしまった。
その度に彼女は、私達はチームだ、”ユーミン”というのは、彼であり彼女だ、と言うけれど、58才の今、まだ、"ユーミン"が、松任谷正隆と、松任谷由実または荒井由実で作ったもの、とは思えない、でも死ぬ間際には、そう思えるんじゃないかな、そういう人生にしたい、彼女に感謝して死にたい、というようなコメント。
それに対して姜尚中氏が、それって、最大のラブコールかもしれないですね、と。
TVでの正隆氏、というのは、大分前車関係の番組をしていたり、近年「シャングリラ」過程ドキュメンタリーでの姿、ですが、ずっとユーミンとは一心同体、黒子的イメージの本人の口から、彼女との関係に対して、こういう率直な所を聞くのは、今にして初めてかと、少し感慨も。
こういう発言は、ユーミン最新曲の熟年愛ソング「ダンスのように抱き寄せたい」を意識して、という訳でもないとは思うのですが、色々思い出すとこの夫妻に、全く波風がなかったとも思えませんが、今回感じたのは根本的に、この夫妻から放たれる「ダンスの・・」的なラブソング、愛情に、嘘はなさそう、というか、妙な白々しさは感じずにすみそうな、と。
正隆氏本人が歌う曲としては、手元にあるのは「ティンパンアレー時代」カセット(↑)で、ユーミン曲は「荒涼」「夜の旅人」「HONG KONG NIGHT SIGHT」「月にてらされて」、「荒涼」以外は正隆氏作曲だったのでしたが、マイベストは、ハイファイセットも「荒涼」と共に歌ってた、「月にてらされて」。
でもそういう曲も入れておらず、やはり最後に挙げたユーミン曲が、2人の出会い、原点曲、「ひこうき雲」。近年あえてこの曲を聞きなおしたり、という機会もなくコンサートでも歌われませんが、この年の瀬に、この曲の持つ清冽さ、というものも、時を経て改めて、という所。
2人が挙げたのは、
松任谷正隆 姜尚中
1 いつか夢で(眠れる森の美女) りんご追分(美空ひばり)
2 砂に消えた涙(ミーナ) アイドルを探せ(シルヴィ・バルタン)
3 500マイル(キングストントリオ) 帰ってきたヨッパライ
(フォーク・クルセーダーズ)
4 フォギー・マウンテン・ブレイクダウン イムジン河( 〃 )
(レスターフラット アンド アールスクラッグス)
5 いそしぎ(アストラッド・ジルベルト) ヨイトマケの唄(美輪明宏)
6 The Weight (The Band) ワイルドで行こう(ステッペン・ウルフ)
7 You are everything(スタイリスティックス) リリー・マルレーン(M・デートリッヒ)
8 Off the wall(マイケル・ジャクソン) 中央フリーウェイ (荒井由実)
9 ほうろう(小坂忠) コールドベルク変奏曲(バッハ)
10 ひこうき雲(荒井由実) 茶摘み(童謡)
で、やはり正隆氏が挙げた曲の中には、「砂に消えた涙」「いそしぎ」「You are everything」、そして先日「クリスマスの約束」の松版で、改めていい曲、と思ったばかりの「500マイル」とか、やはり私個人的に琴線に触れてきた曲、との重なりもあったりして、何だか納得、という所も。
1/1追記:思えば正隆氏自身の音楽ルーツ歴、というのもそう聞いた事はなかったですが、裕福な家庭に育って、幼少時から音楽の素養あって、小学校から慶応ボーイ。でも軽いパニック症で、共同生活が出来ず、混んだ電車にも乗れず、等の問題があって、空想の中に逃げ込む子供で、それが自分の原点、その後もそういう本質的なナイーブ面はあったようで、
何だかこの人は、そういう葛藤、というより、ナイーブ部分を引き出しとして持つ、漂々と世慣れたサラブレッド、的イメージだったので、やや意外。
2曲目の「砂に消えた涙」は、こっそり部屋でラジオで聞いてて、このイタリア歌手ミーナに、恋する感じ、と。私はミーナの原曲でなく、日本人女性シンガー版で馴染み、優しい牧歌的歌謡曲、の感覚で好きで、誰のがインパクトだったか定かではないですが、ルーツは懐メロでの黛ジュン版かもしれません。
ベトナム戦争の頃、徴兵に借り出されたら、どう自殺しようか、と真剣に悩んでたそうで、そんな頃「500マイル」のメロディに心震わせた、というのも、何だか判るような、と。どちらが本家なのか、どちらもカバーなのか?ですが、ピーター・ポール&マリーの他に、このキングストントリオ版もあったのだった、と。
そして、「ひこうき雲」以外で、一番インパクトだった選曲が「いそしぎ」。このアストラッド・ジルベルト版は初耳でしたが、高校時代、楽器を教えていた女生徒から教えられて、こんないい曲があるんだ、とびっくりして、今の音楽、生活、洗練されたものへの憧れの、表紙が開いた、等と語ってたのですが、
「いそしぎ」は、やはりマイベスト10映画に入るのは、この哀愁のテーマ曲による所が65~70%位、とも思えるDNA的好み曲なので、「いそしぎ」のようなユーミン曲は、と、即浮かぶ訳ではないのですが、やはり間接ルーツの1つ、と思えば感慨。
そして、学生時代に小坂忠のバックバンドに参加、というのも初耳。9曲目に、当時自分が参加した「ほうろう」を挙げて、今久方に聞いて、感動したそうですが、当時は、そこにやりたい音楽はなく、バンドの人間関係にも馴染めず、悶々とした頃に出会ったのが「You are everything」、と。
いわば逃げ場、だったのがスタイリスティックスの洗練だれた美しさ、で、何をやってもうまくいかず、とにかく何か”本物”を見つけたい、と悶々としてた、そうですが、
これは、やはり原曲もさることながら、オフコースライブ「秋ゆく街で」の中で、一部ですがメドレーの時歌われたのも印象的な、好み洋楽の1つで、このチョイスにも何だか、パズルが1つ、はまるような感じ。
そして、どうやってドロップアウトしていくんだろうという恐怖感ばかりで、人生的にギリギリの所で、ユーミンに出会って、あのままいったら音楽はやってないと思うし、簡単に言ったら、うちのかみさんが僕を救ってくれた、と回顧。
これまで、どちらかと言えば、ユーミンは、色んな面での影の正隆氏のサポートあってこその輝き、という印象だったのが、そもそものスタート地点で、彼女が彼の救世主、でもあった、というのも今にして、で、
そうは言っても、もしかして、互いに出会わなくても個々に、いずれ音楽界で何らかの存在感を示した2人では、とも思うのですが、出会った事によって、それまでなかった魅力の”ユーミン”という奇跡の誕生、化学変化が起きた、というも改めて。
そして、プロデューサーとしての彼に決定的影響を与えた曲、として、マイケル・ジャクソン20才の時の「オフ・ザ・ウォール」が挙げられ、物凄く完成度の高い未完成、人生の大切な要素である、未完成である事、悟ってる部分、運、自信等、音楽人として、全部がある、
これを頭の上にぶら下げて、それに向かって生きてる感じ、この曲で、自分の今の30年を言ってしまっている、等と、絶賛ぶり。単純に思えば、ユーミン曲のリズムやステージパフォーマンスのルーツのある部分=マイケル、という図式だった、と、新たな意識も。先日イブの夜マイケル特番を録画したのだった、と思い出しました。
正直言ってこの企画、私にとっては正隆氏の10曲だけでも十分、でしたが、同年代の在日韓国人二世姜尚中氏という、生い立ち的~人生的には正隆氏と接点なさそうな人との、2人の番組にする事で、色んな人生とリンクする、音楽の懐深さ、のような味わいもあったかと。
この人は、具体的に記憶にありませんが、ちょっと映像が映って以前「朝までテレビ」討論とかにも出てたのだった、と。正隆氏とは対極、両親が廃品回収をしながら営んだ生活の中での幼少期~在日二世、という自分の出生に悩む青年期の中、「りんご追分」、「イムジン河」、「ヨイトマケの歌」等、この人の背景自体が、直接反映されたような選曲。
印象的だったのは、悶々としてた大学時代、叔父の誘いで初めて祖国韓国に出向き、自分をリセットしてみよう、という気になった、という時、その自由な世界観にも後押しされた、として「イージー・ライダー」冒頭の「ワイルドで行こう」。映像も少し出て一瞬懐かしいものもありましたが、同時期の正隆氏のアメリカ曲選曲が「500マイル」、という違いも思ったり。
それと、ドイツ留学した時琴線に触れた、というマレーネ・ディートリッヒの「リリー・マルレーン」。この曲は、加藤登紀子等色んな人版で、耳にしてきた、とは思うのですが、この元々の映画劇中の原曲は、聞いた事あったか?定かではないですが、
今回聞いて、マレーネ・ディートリッヒってこういう叩きつけるような歌い方だったのだった、と。ナチスから逃れてアメリカでもこの曲を歌う、彼女のデラシネ、根無し草的な部分に、自分も共感した、という、やはり、在日二世、というルーツが選ばした曲、という感で、
同じ時期「オフ・ザ・ウォール」に衝撃を受けてた正隆氏、とは、やはり別種人生、接点なさそうではありますが、少年期、同時期に流行った外人女性シンガーの「砂に消えた・・」「アイドルを探せ」を選んでたり、情けない位一緒ですね、と苦笑、というシーンもあったり、
自分の別世界への逃避先だった、として挙げた「帰って来たヨッパライ」は、正隆氏も、最初に買ったシングル盤だった、とか、環境は全く違っても、同世代人として、リンクする部分も、というのも何だか音楽の普遍性、が改めて思われたり。
そして、共演者に敬意を表して、という部分も多少なりともあったのかもしれないですが、姜尚中8曲目に「中央フリーウェイ」。
ドイツから帰国して、結婚、子供も出来た生活の中で、初めてユーミンの音楽を意識、そして、時代はバブルへ向かっていて、リッチな人の楽しい歌、が、物凄く胸糞悪かった、でも、心の中でやっかんでたのかもしれない、ユーミンはスタジオのスターで、ああいう雰囲気に、強く違和感あった、と。
この人からしたら、それが正直な所かも、と思うのですが、当時の埼玉の公団住宅での暮らしで、初めて日本の地域社会の色んな人々と出会って、浮かれた日本とは、ちょっと違う人達がいる、と気付いて、この社会に根を持とう、と思えた、と回顧。
ある意味逆ユーミン効果、にも思えますが、そういうバブル=ユーミン世界へのやっかみがエネルギー源に、等とは語らなかったし、漂々と穏和な物腰が感じられるこの人に、そういう特別な意識はなかったのかもしれないですが、その後、政治学者としてメディアにも頻繁に登場、発言が注目されるようになって、在日韓国人として初の東大教授に迎えられ、という過程のようで、
笑いながら、今、中央道を通ったりすると必ず「中央フリーウェイ」を口ずさんでる、意外にも、胸糞の悪かった80年代に耳に沢山聞いた曲が、口から出てくる、というのは、そういう今のこの人の、日本社会で認められてる、という充足感からの、ある種の懐の広がり、気持ち的余裕あってこそかも、と。
「中央・・」も、「ひこうき雲」程ではないですが、久方。やはりこれは、実際舞台の中央道のそれらしき辺りを走った時の感慨、は記憶薄れてても、収録アルバム「14番目の月」('76)の匂い、というか、澄んだ感触が一瞬蘇って、ノスタルジー。
そういう、それぞれの背景あっての10曲、やはり締めの「ひこうき雲」に至る、正隆氏のユーミンエピソードが一番印象的でしたが、それ以外の所でも、年納めに相応しい、なかなか興味深く面白かった番組でした。
私自身の人生の10曲、と今一度考えてみたのですが、数々愛聴曲あっても、総合したらやはり別枠的、今ハンドル名にも入れてる、ユーミン2枚目「MISSLIM」('74)の10曲と、プラスαで「ひこうき雲」('73)の中の「雨の街を」になるだろう、と思います。<(C)ALFA RECORD, INC.→>
このアルバムに出会ってなかったら、思春期「海を見ていた午後」の静かな衝撃がなかったら、今、ここ東京(関東)に、いるだろううか、とか、価値観とか、好みとか、思い出の色合いとか、多分色んな事が、違うはず、と思うので。
関連サイト:NHK番組たまご ミュージック・ポートレイト~人生が1枚のレコードだったら~
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