2009年 08月 20日
探検ロマン世界遺産 ユーミン×アンダルシア
スペインは、この年(55才)にならなければ来ちゃダメだと思っていた、そうですが、ユーミンとスペインと言えば、バルセロナを舞台にしてた哀愁漂う「地中海の感傷」を思い出します。
(C)(株)扶桑社
また、モロッコと言うと、「The Collar of the Dove~モロッコの夢~」('85)という、モロッコでユーミンが遭遇する物語、という構成の写真集を買ってたのでした。映画では、リスニングで追っている途中の「カサブランカ」もモロッコですが、やはり「モロッコ」('30)のマレーネ・ディートリッヒが砂漠を裸足で歩いていくラストシーンが強烈でしたが、この写真集でもターバン姿のユーミンが、現地人と砂漠をさ迷い歩くショットが何枚かあったのでした。
またアフリカでは、手元に同じ頃のパリダカ紀行写真集「SOUTH OF THE BOADER」('87)もあったのでした。 「アフリカに行きたい」「ホライズンを追いかけて」等も、郷愁です。
最初セビリアで、本場フラメンコライブの女性の踊りの迫力に感動、ユーミンは「血のにおい」を感じ、そのルーツ、として、このアンダルシア地方の歴史を辿ってたのですが、
セビリア大聖堂は、バチカンのサンピエトロ(←)、ロンドンのセントポールと共に、世界3大大聖堂の1つだそうで、聖書の各シーンが彫刻され、黄金に塗られてる、カトリック最大規模、という祭壇奥のついたては、まさにキリスト教色かなり濃厚な圧巻さでしたが、実はこの聖堂が、元はイスラムのモスクだったり、
その傍の、キリスト教徒が建てたアルカサルという王宮も、イスラム美術ずくしで、アラベスク模様等に感心しながら、何故?と疑問を抱くユーミンに、キリスト教徒はイスラム美術のファンだった、という専門家の解説、中世のキリスト教とイスラム教の対立・混じり合い、という背景だったのでした。
711年にイスラム教徒がやってきて征服、でも1492年にレコンキスタ(再征服)として、キリスト教徒にイスラム、ユダヤ教徒が追放され、対岸のモロッコ北部テトゥアンに渡り、そこに移り住んだ人々がアンダルシアへの郷愁で、扉に当地のシンボルの飾りを付けたり、家の内部をイスラム様式にしていたり、という想いの名残や、当時のアンダルス音楽も受け継がれていたり、
その音楽を追って、ユーミンもジブラルタル海峡を渡っていき、地元の楽団の演奏を聞いて、それは、ひざの上に立てて弾くバイオリン状や、マンドリンのような弦楽器、タンバリン等+浪々とした歌、でしたが、演奏の後礼を言って、地球の果てまで懐かしいような、とても不思議な切ない感じがしました、等と目を潤ませる場面も。
8/21追記:再びアンダルシアに戻って、グラナダで、アルハンブラ宮殿を訪れたり、イスラム教徒と入れ替わるように、西インドからやってきていた、放浪・芸能の民ヒターノ(ロマ)の人々と交流する様子。アルハンブラ宮殿は、ギター曲「アルハンブラ宮殿の思い出」で知る名で、今まで実物は余り覚えなく、14世紀に建てられて、イスラム王朝の繁栄ぶりを現す宮殿だった、と改めて、でしたが、意外とこじんまりした所でした。
(C)中央公論新社
ヒターノ、というのは聞き覚えが、と思ったら、好きな漫画家竹宮恵子の「変奏曲」シリーズの中の、「アンダルシア恋歌」で、天才音楽家の主人公ウォルフの、別々に育った妹アンリエットがグラナダ出身、ウィーンで兄と暮らすことになった当初パーティで、ヒターノに習った、とフラメンコを披露、というシーンがあったのでしたが、実際この民族がやってきたのが、フラメンコ誕生のキー、だったのでした。
先日取り出した「深夜特急」文庫6でのスペインの辺りも見直してみると、沢木さんはアンダルシアは通らず、マドリードにしばらくいたようでしたが、その蚤の市でガルシア・ロルカの本を探していて、「アンダルシア・・」でも、アンリエットがグラナダ育ち、と聞いて、反抗の詩人ガルシア・ロルカの生誕地!と、言ってた客がいたり、という共通点があったのでした。
バーのヒターノの主人の洞窟を掘った住居では、ユーミンは、東京でこれに似せた場所はあっても、本物、で粋だ、と感心。家族が増える度に、掘り進んだ、という住居は結構奥広く、白壁にエスニックな家具や飾り、トルコで見学したカッパドキアの住居、が重なりました。ここの主人は、よそへ行く気はさらさらない、と満足気。
ユーミンは最後に、グラナダの生きる伝説、と呼ばれるフラメンコの70才の巨匠宅のパーティに参加、一族もほとんどプロ、という一家のそういうホームパーティは、伝統が受け継がれていく大事な機会、だそうですが、食卓で独特のリズムのギターに合わせて、歌われる流浪の歌、自然に体が動いて、というダンス。やはり生活に自然に溶け込んでいる感じで、
それはこのヒターノ民が、放浪や迫害、厳しい時代を経て、この地に住み着いた、という背景と背中合わせの、心の発散、的な産物、とも思いますが、そういうもの+キリスト教とイスラム教の融合・対立と絡んで、リオの土地の人々が生んだ穏やかなボサノバ、等とはまた異質、ユーミンが最初「血のにおい」と言った、フラメンコの濃さ、という感触でした。
ユーミンは、音楽は人そのもので、嘘がつけないし、まさに本物、と思った、色々マスキングしているものを取り払った時、自分には、これ程の強いものがあるのだろうか、と語り、おそらく傍らのスタッフの、でも由実さんは東京で音楽を作るしかないわけですよね?という声に、
そう、それは、幸福でもあり、不幸でもあることで、物質的な豊かさや、華やかな流行の流れの中で、見失い易い所にいると思う。今自分の原風景、というものに、思いをはせている、等とコメント。ヒターノ一家のパーティーで、新たなピアノフラメンコ、を披露していた巨匠の息子が、今はインターネット時代で世界中と繋がっているし、フラメンコは今後も色んなものと混ざりあいながら進化していく、と言ってたのですが、
(C)(株)CBSソニー出版
ラストには、「そしてもう一度夢見るだろう」から、タンゴ調の「Bueno Adios」が流れる中、石畳をそぞろ歩くユーミン。やはり今まで自分が聞いた音楽や、読んだ本、そういうものや、色んな融合の中に飛び込んでも、自分らしいフィルターで音楽を作っていきたい、という語り。
ヒターノの家族の中に、理屈抜きに流れるフラメンコ、という生まれながらの芸能、という濃さ、そういう絆は羨ましい気もしたのですが、現代の日本に生まれて暮らす中で、思春期~傍らにユーミンという存在、詩情+バイタリティ満ちた音楽があった、というのは、ある意味幸せ、とも改めて、という番組でした。
関連サイト:http://blog.television.co.jp/entertainment/entnews/2009/02/2009
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<’96年5月、トルコにて>