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’09年1月末AOL映画掲示板、ブログが終了、気分新たにマイペースで、音楽・芸術鑑賞、ユーミン関連、読書、英検1級対策、グルメ、仕事等含めて書いてます。英検は’11年11月に無事合格達成出来ました!

by MIEKOMISSLIM

カテゴリ:本( 14 )

近年寝る前に少しづつ、手元の本を読み返す習慣、アンシリーズ、その他のモンゴメリ、サガンときて、サガンのが割と近年のになって、一旦おいて、

ふと傍らにあったよしもとばななの「キッチン」文庫、それに収録の短編「ムーンライト・シャドウ」の甘酸っぱさが何だか懐かしくて、

大分前ブックオフで買ったまま手を付けず未読だったばなな単行本「デッドエンドの思い出」を読みました。


長編かと思っていたら、5編からなる短編集。相変わらずさらさらと読み易い文体で、1日で1篇ずつ進んで、割とあっさり読破。

タイトルでもあり、最後の短編題でもある「デッドエンド・・」のデッドエンド=行き止まり、袋小路、で、

まあどれも、手痛い失恋したり、毒物事件に遭ったり、おさなじみが家庭の問題で急死したり、父の浮気で家庭崩壊したり、婚約者に裏切られたり、という状況の、幸薄いヒロイン達。

でも、彼女らの傍らに、さりげなく、やはり訳ありの過去を持ってたりの男性達が現れて、彼らが醸すほんわりとした癒しのオーラ、

必ずしも恋仲になる訳でなくても、「デッドエンド・・」では、その男、西川君が、「(不誠実な)相手が自分の人生からはじき出されたと思えばいい。」と淡々と、ヒロインの立場にとっての正論を語ったり、

そういう特別な癒しの存在は現れずとも、色んな状況の中での、それぞれの姿勢を肯定的に捉える、何が人にとって「幸せ」か、鷹揚な懐深さの心地よさ、の、久方のばなな節、

まあ初期の作品よりは、あけすけな性(欲)描写がやや鼻についたり、という所もあるけれど、やはりさすが、という感じ。

ばなな本一式を本置き場から取り出して、エッセイ「パイナップリン」「夢について」などパラパラ見たり、「うたかた/サンクチュアリ」なんて特に久方に読み返してみたくなって、

単行本だったか文庫だったか?どこかにはあるはずとは思うけれど、これだけどうも見つからず、楽天ポイントで、文庫を注文。


という所で、買ってから10年でなくとも、少なくとも6,7年以上は経ったか?何だか入手したことで満足して未読だったパターン、久方ばなな本の味わいでした。

関連サイト:amazon 「デッドエンドの思い出」
関連記事:アルゼンチンババア(’07)アルゼンチンババア(’02)よしもとばななキッチン('89)キッチン(’97)

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    <(C)(株)文藝春秋>

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by MIEKOMISSLIM | 2016-05-28 22:28 | | Trackback | Comments(0)
一昨年の年頭から、ふと思いついて読み直しを始めた「赤毛のアン」シリーズ、先日で一通り12冊の文庫読了しました。


手元にあった「赤毛のアン」「アンの青春」に始まって(<(C)(株)新潮社↓>)、

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その後は「アンの愛情」「アンの友達」「アンの幸福」「アンの夢の家」「炉辺荘のアン」「アンをめぐる人々」「虹の谷のアン」は図書館ので、「アンの娘リラ」は手元にあったもの、

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最後の「アンの想い出の日々」上下巻は村岡花子の孫村岡美枝の翻訳、その他は全て村岡花子翻訳の新潮社版で。

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偶然昨年のNHK朝ドラで、村岡花子題材の「花子とアン」も放映、その元になった、村岡花子の娘、村岡理恵著の「アンのゆりかごー村岡花子の生涯ー」なども挟んで、寝る前に少しずつボツボツ辿ってきて、ついに終わりまで。

最初の2冊はやはり馴染み感、その後のは、一度は通ったものもあったと思うのだけれど、手元の「アンの娘リラ」含めてどうも記憶が定かでなく、今回初のものもあったかも知れず、完全に初だったのは、その存在を今にして知った「アンの想い出の日々」。


やはり懐かしさ+ギルバートとの間に6人の子供を持つアンのその後の生活、最後の方では孫まで出現、少女期の夢見がちな性質も保ちつつ、それなりに日々の生活を営んでいく様子、

最初の子供を生まれてすぐ病で、また否応ない戦争で息子を亡くしてしまったり、現実に打ちひしがれる、という、「アン」イメージからは想像つきにくいややシビアな展開もあったり、

その中でもやや特異なのは「アンの娘リラ」で、第一次世界大戦にカナダも巻き込まれ、本土が攻撃を受けたり、ということはないけれど、若者達が出兵を余儀なくされ、

アン一家も2人の息子、リラの恋人などが出兵、現実にさらされ、人々の高揚や不安など揺れ動く心情が描かれている1冊。


また「アンの想い出の日々」も、構成的には、シリーズに見られるパターンの、アン一家に多少なりとも繋がりある人々題材の短編集、なのだけれど、

折々に、アンや、詩の才覚があった戦死した息子ウォルターの詩+それについてのアン一家のメンバーの短い感想や思い、会話などが挟まれている、というのが特徴。

この後書きで、モンゴメリは後年精神的に落ち込むことが多かった、また近年になって、その死因が薬の服用で、自殺の可能性があると公表された、などとあって、それは初耳。

「アンの想い出の・・」は、’42年のモンゴメリの詩の当日に持ち込まれていた、そうで、ウォルターの詩にちなんでその悲しみがしんみり語られる以外は、特に直接戦争に関わる話はなく、

戦争の影と、モンゴメリの精神状態不安定というのが、どう関連あったのかなかったのか?だけれど、シリーズ終盤後年のアンの心情の記述には、やはり生活の中で色々あった中、強い感受性ゆえに辛い部分も見受けられる、という感じ。

これはやはり、序盤のアンシリーズだけだと、溌剌とした少女~信頼し合えるギルバートと家庭を持った女性への成長の物語、止まりで、終盤まで通らなければ知ることもなかった”その後のアン”だったのだけれど、

トータル的には、モンゴメリのアン一家、その周りの人々を、その背景の豊かな自然と共に描いた短編的な物語それぞれが、日常の中の喜び、悲しみ、恋、噂、意地の張り合い、思い込み、誤解、和解、ユーモア、

誰にも顧みられることなく死にゆく老人の、豊かな思い出の数々、など人生の機微的にじんわり味わいあって、飽きが来ない、というか、読み進めていても定番的な安心感、という感じ。


そういう所で、約1年半がかりでのアンシリーズ再読・読破、プリンス・エドワード島の風物含めて懐かしさもあり、”その後の大人のアン”も改めて、

+周囲の人々のそれぞれの人生、それぞれの短い物語の趣もあって、いぶし銀的味わいの楽しみ終了ですけれど、

今後折を見て、いっそモンゴメリのアン以外のもので、エミリーシリーズ(再読)などもボチボチ辿ってみようか、とも思ってます。

関連サイト:Amazon 「赤毛のアン」 「アンの青春」 「アンの愛情」「アンの友達」「アンの幸福」「アンの夢の家」「炉辺荘のアン」「アンをめぐる人々」「虹の谷のアン」「アンの娘リラ」「アンの想い出の日々<上>」<下>
関連記事:アンを探して(’09)SONGS 絢香&「花子とアン」アンのゆりかごー村岡花子の生涯ー / 村岡恵理(’08)

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by MIEKOMISSLIM | 2015-06-17 23:31 | | Trackback | Comments(0)
昨年秋に出た沢木新刊の小説「波の音が消えるまで」を、先日読み終えました。


図書館予約してたのがやっと到着、「血の味」以来の沢木長編フィクションだけれど、今回は上下巻、のボリューム、初めて順番予約というシステムで申し込み、

確かに上巻の方が早く連絡来たのだけれど、多少時間の余裕があって下巻が来るのかと思ったら、その翌日に下巻到着の連絡、

多少下巻の取り置きの猶予はあったし、何とかGW中にどちらも読破出来れば、というつもりだったのだけれど、さすがに沢木本、1日のノルマをこなす感覚をあっさり超えて、引き入れられるように読み進み、先週の内に2冊読了。


元サーファー、カメラマンだった28才の主人公伊津航平が、ふと立ち寄ったマカオで、バカラという博打にのめり込んでしまう、という内容。

序盤、やはり主人公に沢木さん像が重なったり、また航平、という名からルックス的に時折体操の内村航平選手が意味もなく浮かんだりしながら、

題材として、カメラの世界は沢木さんの範疇、とは思うけれど、意外だった片岡義男ばりにサーフィン、また男女間の感情の絡み+肉体関係描写まで、など、

これまでの沢木ものでは覚えなかったジャンル、という目新しさもあったのだったけれど、一番引き込まれたのは、やはり臨場感あるバカラのシーンの数々。

博打についてはこれまでも著書の中で触れられてたことはあったのだけれど、1枚1枚のカードの明けられる緊張の瞬間、その数字の持つ意味、主人公や周囲の賭けた人々にもたらす運命、など、

大仰な描写、という訳ではないけれど、やはり目の前で展開するノンフィクション世界のようなじんわりくる迫力は、さすが、という感じ。

私は全く日常縁のないジャンルではあるけれど、序盤で大体のバカラの仕組み、賭け方など判って、その後、幾度となく出てくる勝負を決めるカードがめくられるシーンの旅に多少なりとも緊張感が。


それまで博打は敬遠していた主人公が、ふと手を出したバカラに魅せられ、謎の達人らしき訳ありの老人、劉から、数の勢い、賭ける際のメンタル面とかアドバイスを受けながら、その世界に入り込んでいって、

最後に彼に残された、バカラ必勝法についてのメモの言葉は「波の音が消えるまで」。その空虚、ともいえる領域までとことん行ってしまうまでの経緯。

その間に、やはり訳あり女性季蘭やアイリーン、ホテルで働く日本人村田明美との出会い、香港のマフィアボスの囲い者だったアイリーンと関係を持ったために危機一髪、

劉が恩義ある大物、林康龍の力で救われ、というちょっとしたサスペンスシーンもあったり、一旦日本へ戻って、やはり帰国していた明美との再会、

いわば異国での通りすがりだった劉と季蘭のため、見返りを求めず金を稼ごうとする姿、一旦離れてたカメラマンの仕事を通してのエピソード、雇い主から明かされた、幼い頃染んだ父とバカラとの因縁、とか、

まあ様々な要素が織り交ぜられながら、ラストへと向かっていくのだけれど、主人公が望むのはやはりバカラ世界の極限、で、自暴自棄というのか、一文無しであわや行き倒れ危機、から、

林康龍の助けで救われたり、もはやここまで、という所から奇跡的なバカラ運に救われたりしても、それを振り払ってしまう、いわば一種のカルト宗教にでも魅入られてしまったような、という収束への進行。


a0116217_2158077.jpg読み終えてから、ふと「深夜特急」序盤で沢木さんは香港に寄ってたのを思い出して、マカオにも行ってたような、と、文庫第1巻を取り出してみたら、やはり「香港・マカオ」編で、

後半のマカオ編では、「波の・・」に出てきたリスボアホテル、水中翼船、大橋、地形など、そのままの舞台でもあったのだけれど、

ざっと読み返してみて興味深かったのは、この時の沢木さんと博奕の絡み。<(C)(株)新潮社→>

沢木さんはその時「大小」という博奕にハマり、このまま続けていれば、ロンドンに行くどころか東京にも帰れず、異国で無一文になって立ち往生、と判っていながら、

>自分がそのような小さな破局に向かってまっしぐらに進んでいるらしいということには、むしろ意外なほどの快感があった。< のような箇所。

実際は沢木さんは、大きく負け越していたのをそこそこの負け越しに挽回出来たことで万足、切り上げて事なきを得て、「深夜特急」旅に向かって、

沢木さんと博奕といえば、色川武大氏との付き合いでのたしなみなど、まあ小説の元になる著者の経験、といえばそれまでだけれど、

マカオでの、博奕の種類は違っても、その時の博奕に”行くところまで行ってしまう快感”への刹那的欲望の感触が、この「波の音が・・」という小説のノンフィクション的ルーツの一部ではあるのだろうと。


沢木さん自身は、(バカラという博奕の)果ての果てまで行ったら、どんな風景が見えるのか?というのを描いた、と語っているけれど、

   

その極値まで行ってしまった主人公の終盤が、劉や季蘭と同様の罪を背負う運命か?救いの女神、のような明美の出現含め、やや夢かうつつか?という茫洋とした曖昧さ、でフェイドアウトなのは、

沢木さんがフィクションならでは可能な、ある種の純粋さへの救済、あるいは愚かさゆえの破滅、の余地を、読者に委ねたのか?

そういう”夢うつつ”にも、幻にしても現実にしても、それぞれの可能性での現実的な状況の裏付け記述などがちらほらあるのは沢木作品らしい、というのか、だけれど、

そういう折々のノンフィクション風味によって、ますます有り得ないか?有り得ることか?判断し難い、というのもやはり沢木作品の味わいなのだろうと。


そういう所で、動画にもあったように、沢木さんの初のエンタメ長編小説、でもあったのだったけれど、マカオ、東京、ハワイ、バリ島など舞台にサーフィン、カメラ、そして沢木作品にしていつになく女性絡み描写も踏み込んでいて、

何よりバカラ、という小世界での様々な心理、感情の揺れ動きなど含んだ臨場感を軸に、読み応えあった沢木さん新刊でした。

関連サイト:Amazon 「波の音が消えるまで 上巻」「波の音が消えるまで 下巻」
関連記事:ロバート・キャパ世界は「使わなかった」人生であふれてる(’02)血の味(’00)「愛」という名を口にできなかった二人のために(’07)銀の街から(’07、12月)(’08、1月)(’08,2月)(’08、3月)(’08、4月)(’08,5月)(’08、6月)(’08、7月)(’08、8月)(’08、9月)(’08、10月)(’08、11月)(’08、12月)(’09、1月)(’09、2月)旅する力 深夜特急ノート/沢木耕太郎(’08)人の砂漠(’77)映画化人の砂漠(’10)あなたがいる場所/沢木耕太郎(’11)イルカと墜落/沢木耕太郎(’02)一号線を北上せよ/沢木耕太郎(’03)ポーカー・フェース 沢木耕太郎(’11)LIFE 井上陽水~40年を語る~<1><2>SONGS 財津和夫<1>/井上陽水<1>~<4>NHKスペシャル 沢木耕太郎 推理ドキュメント運命の一枚~"戦場"写真 最大の謎に挑む~冬の旅人「高倉健の肖像」(’88)流星ひとつ / 沢木耕太郎(’13)
 
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          <(C)(株)新潮社>

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by MIEKOMISSLIM | 2015-05-06 22:58 | | Trackback | Comments(0)
水嶋ヒロが本名齋藤智裕名義で書いて、ペンネーム齋藤智で応募、一昨年、第5回ポプラ社小説大賞だった「KAGEROU」を、遅ればせながら読みました。

大分前に図書館に予約してあったのが、先日、忘れてた頃に通知。文章自体は読み易く、後味的には、まあ水嶋ヒロ、と知らず、新人作家の受賞作を読んだとして、そこそこ好感触、という所。


自殺志願者の主人公に、間際の所で絡んでくる、ドナーを探してはその「命」をレシピエントに”再利用”している医学的に超高度なテクノロジーを持つ秘密会社、というファンタジー。

まあ「命」を扱う内容として、今時のギャク的な科白とか、自殺しようとする者に、いくら生きる意義を説いても無駄、

ならばむしろ、生きたい、と願う病人に、その身体の機能をシフトして、生かすべき、のような、端的な割り切り方、とか、軽さ、は否めないけれど、

リストラ、借金苦の事情ある、自殺を邪魔された主人公ヤスオが、その会社の一員京谷から、ビジネスライクに提示された、遺族に渡る結構な金額、に心を動かされたり、

”脳”だけは、どんなに状態が良くても査定のポイントにはならない=心や魂、はゴミ同然、のような部分とか、その「軽さ」が、今のモノがものをいう物質主義、無機的な空気感、のようなものを突いてる、というか。


またそういう無機的感、に加えて、後半、ヤスオが事務的な”旅立ち”への準備の中で、彼なりに感じていく寂寥感や、レシピエントの一人、少女茜との出会いで、

”人を愛するということはその人のために生きることであり、同時に死ねることだ”と気づいて、自分の人生の意味、を感じられた、というくだり、

そして終盤、そのゴミ箱行きのはずだったヤスオの”脳”が、巡り合わせで京谷の中に息づいて、茜への切ない”心”を見せたあたり、など、

純文学、純愛もの、のようなテイストもあったのが、後味、好感度にも影響、とは思う。


そして、そういう終盤の純愛モード的には、これを書いた齋藤智裕=水嶋ヒロの、結婚の頃からメディアを通して目にしてきた伴侶絢香へのスタンスのイメージと、そうズレがない、というのも、思えばまあ感覚的(というか生理的)ポイントの一つ。

そういう面もあって、この小説がもし映像化なら、と思ったら、やはり主人公ヤスオ=水嶋ヒロ本人が浮かび、小心かつ大胆さ、投げやり、洞察力、知的な部分、今時のラフさ、など、そう違和感なく、

つかみ所のない京谷役に、反射的に浮かんだのは大沢たかお、茜役の女優、というのはちょっと思いつかず。


そういう所で、今にして、の一時期の話題本読書。この評価はまちまちらしいけれど、前述のように、新人作家の処女作、として、思ったより悪くなかった、次作が出たら、とりあえず読んでみたいと思う、という所でした。

関連サイト:Amazon 「KAGEROU/齋藤智裕」
関連記事:GSワンダーランド(’10)BECK(’10)

             (C)(株)ポプラ社
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by MIEKOMISSLIM | 2012-12-06 23:34 | | Trackback | Comments(0)
3日前、昨年秋発行の沢木耕太郎新エッセイ集を読み終わりました。沢木作品は、やはり昨年秋に読んでた旅ルポの「一号線を北上せよ」以来。

この「ポーカー・・」は、旅の話も出てくるけれど、特に旅に焦点、という訳でない13編収録。あとがきでもあったように、こういうスタイルのエッセイ集は「バーボン・ストリート」「チェーン・スモーキング」入れて3冊目、

手元の「チェーン・・」単行本で確かめたら、この発行は'90年、ほぼ20年を経て、ではあるけれど、やはり定番文体、というか、本人の興味に引っ掛かった題材への沢木目線での展開、読み易く安心して味わえた、という感じ。


印象的だったのは、ブラディ・マリーという酒にまつわる「マリーとメアリー」で、阿久悠作品として「五番街のマリーへ」を挙げてて、

NYの五番街なら、友人が指摘するようにマリー、でなくメアリー、ではないか、でも日本人はメアリーよりマリーの方に親しみがあるので、阿久悠は、確信犯的に、マリーにしたのだろう、

でも終盤で、彼女はマリという日本人で、愛称としてマリーと呼ばれていただけかもしれない、などと、ブラディ・マリーの名の由来同様、「五番街・・」の「マリー」考察。今にして、だけれど、このスタンダード曲もそう言われてみれば、という所。


また「言葉もあだに」で、「あしたのジョー」で、矢吹丈が良く吐く科白に「うぬ!」「おのれ」などがあって、現代青年としては妙だけれど、これは原作者の梶原一騎が昭和11年生まれで、そういう時代の背景にあった大衆小説的な世界観ではないか、とか、

旅の途中バスで中国人の少女と話してて、宮崎作品の話になって、好きな作品を聞かれて沢木さんは「風の谷のナウシカ」を挙げ、

この作品でも、かわいい顔をしたナウシカが、部屋に駆け込むと父が銃で撃たれ事切れていた時、それまでのソフトな語調から一変、「おのれ!」と叫ぶシーンに、梶原一騎より5才年下の宮崎監督にも、どこかに大衆小説、映画に通じる回路があるのかもしれない、などという考察。


映画話では他に、「なりすます」の中で、マーク・ピーターセンという人が著作の中で、「ローマの休日」のアン王女とジョーは「淡い関係」だけで別れたのではない、という説。船上パーティの大立ち回り~ジョーの部屋のシーンの間、というのを指摘、という件。

取ろうと思えばそう取れなくもないけど、やはり沢木さんが疑問を投げてるように、「淡い関係」でなかったとして、ジョーが記者会見に出る(ほど無神経)だろうか、で、余り信憑性はないと思うけれど、まあちょっと一瞬思い返したり、

たまたま私の引っ掛かったのは、そういう所だけれど、色々興味の幅広さ、など改めて。


沢木さん自身のネタとしては、その「なりすます」は、井上ひさしがかつて地元の山形で、井伏鱒二に会ったけれど、それは”偽者”、でも土地の青年の持ってきた小説を読んで、実に的確な批評をしてた、のような内容だけど、

それより印象的だった、大阪のミナミのバーに、沢木さんの偽者が出没、そこのママと懇意になってて、ぷっつり顔を見せなくなったので、上京して”本人”に連絡してきて、別人と判明、というエピソード。

沢木さんは真偽をはっきりさせた方が、と、そのママと面会。冗談半分に「その、偽者の沢木という人はいい男なんですか」と聞いたら、間髪いれずきっぱり「それはもう!」と答えられて、その偽者氏に奇妙な敗北感を覚えた、のような話。

その人は沢木さんの作品は読んだ事もなく、何者であるかほとんど知らず、とのことで、多分ただちょっと名のしれた実在の作家、という所で騙されていたようで、

思えば、メディア露出の多い有名人、とかでなければ、特にファンでもなければ、芸能人という訳でもないし、実際作家の人の顔って謎、というのも、自然かも。

だからと言って、ぬけぬけと偽者を演じる、というのも、愉快犯的な所もあるかもしれないけれど、大胆な詐欺行為。その偽物は、沢木さんの名を利用して無銭飲食、とかはなかったそうで、まあ著名度あってのことだけれど、偽沢木氏も出現したのか、と。

                                 (C)(株)講談社
a0116217_138761.jpgそれと、「挽歌、ひとつ」で、尾崎豊の事などにも触れてたけれど、主に、交流あった故高峰秀子さんについて書いていて、

生前、沢木さんの映画評について、「あんなことをしてる間があったら、もっときちんとした作品を書いてください。『深夜特急』のように顔がむくんじゃうような長いものをね」などと、「苦言」を呈された、というような所。
                                        
少し前本置き場で、別の本を探してて、昨年図書館の単行本を読んだばかりの「一号線を北上せよ」文庫を発見、持っていたのも忘れてて、収録内容は単行本の半分程、ベトナム旅関連エッセイだけだったのだけれど、

その最後に、沢木さんと高峰さんの「旅が教えてくれたこと」という対談が載ってて、ざっと読んでみたら、冒頭高峰さんが、「イルカと墜落」でのヘリ墜落事故の後遺症について心配してて、治療してない、と言う沢木さんに、

「(「痛い、痛い」ということを)面白がらないで、ちゃんと治して下さい、そうしないとね、ハタ迷惑です。誰が迷惑するかっていうと、家族が迷惑します・・」のように忠告、沢木さんが「はい、わかりました(笑)」と受けてて、

こういう風に、沢木さんに執筆活動、家族のことまで踏み込んで、あっさり意見してるのって、覚えある限り、この人だけ、だったような。


家族と言えば、少し前、沢木さんと若い女性が一緒に飲食店に入ったり歩いてるのを、マスコミ関係者が、あらぬ仲?と疑ったら、2人は沢木家に入っていって、娘さんだった、とかいう記事を見かけたけれど、

「恐怖の報酬」で、娘さんが少しだけ登場、小学生だった頃、「結婚するとしたら、絶対ゴキブリ退治できる人じゃなきゃだめ」と言ってたのが、先日、ふと思いついて確かめてみたら「そんなことが結婚の条件になるはずがないじゃない」と一蹴された、という部分。

特にそれが浮いてた、という訳ではないけれど、父題材のルポ「無名」はあっても、沢木エッセイでの、家族エピソード、というのはこれまで覚えなく、沢木さんの年輪の積み重ね、という表れなのかとも。


そういう所で、今回も、折に興味引っ掛かる部分もあり、前途のように、やはり割とスムーズに読み進み、味わえた沢木新刊でした。

関連サイト:Amazon 「ポーカー・フェイス」
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             (C)(株)新潮社 
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by MIEKOMISSLIM | 2012-03-09 02:09 | | Trackback | Comments(0)
今年初旬、芥川賞の新聞記事で、受賞者朝吹真理子は、その大叔母が、馴染みだったサガン作品の翻訳者朝吹登水子さん、またその兄で「私自身のための優しい回想」翻訳の朝吹三吉氏の孫娘、と知って、遺伝子繋がり的にも読んでみたい、とチェックしてた作品。(’10年度ベスト5作品/DVD・ビデオ・放映・上映会鑑賞<2>

大分前図書館で予約、先日通知が来て、英検2次試験翌日が取り置き最終日で入手、読み終わりました。この人のデビュー作「流跡」('09)も夏頃読みかけたのでしたが、抽象的な文が延々連なり、その時の自分のモードにも余り合わず、4、5分の1程読んで止め。

この「きことわ」は、数段読み易かったですが、やはり英検発表まではどうも気忙しさもあって、目が字面だけを追ってた感じで、発表後一息ついて、改めて読み返し。


タイトル「きことわ」は幼馴染みの「貴子」「永遠子」の名からで、貴子の家の葉山の別荘の管理人が永遠子の母だった、という関係で、その別荘が売却される事になって、8才、15才だった頃以来25年ぶり、33才、40才になっての再会。

貴子は独身で中学で国語を教えてて、近年修羅場もあった恋愛の破綻、今父と二人暮し、というごくあっさり背景描写、永遠子は小3の娘がいる主婦、でも再会後も、当時のように自然に「きこちゃん」「とわちゃん」と呼び合う2人。


縦軸がそういう時間の流れの行きつ戻りつ、でも印象的だったのは、全編に折々見られた、永遠子の趣向の理科系の知識の、非日常な遠い過去や未来の話。

高1生にしてはマニアック、とは思いましたが、海岸での地層が~百万年前どういう風に出来て名が~、とか、~億年前の古生代の生物、逗子市の形が、その1つ”ダンクルオステウス”に似てる、とか、

北極星は、今は小熊座だけれど、8千年後には白鳥座のデネブ、1万2千年後には琴座のベガになる、などと図鑑で娘に教えてたり、貴子と満月を見ながら、月は1年に3.5cmずつ地球から遠ざかってる、など。


また、それと対照的な日常の、幼少時の海岸への弁当の中身、貴子の母がよく買った、という干物、再開後の2人の生活、会話の中の、蓮根の甘酢漬け、鱈鍋、その具の買い物などの描写。

2人が別荘でカップヌードルの3分を待つ間、整理してた本に、宇宙のおおまかなところは3分間でできた、というようなタイトルがあった、などと話してたり、日常30~40代年女性同士の会話、からしたら、異質スケールな飛び方。


異質スケール、と言えば、そういう地質、天文学的な話や、日常的な食べ物の描写もありつつ、2人がそれぞれその別荘や街中で体験する、何者かの力によって、不意に背後から髪を引っ張られ、そのお陰で身の危険を回避出来た場面も、というような”もののけ”的な出来事、

再会前の夏の同じ日に、浴衣を着て葉山の海岸にいた永遠子を、渋谷のBunkamuraで、まさにその同じ柄の浴衣姿で見かけた、という貴子の話。それも、一階から地下一階を通るエレベーターですれ違った、と、具体的。

現実的ではないけれど、2人共人違い、とも思えず、自然に交わす「あの浴衣、とても似合ってた」「ありがとう」というような会話。


そういう、ミクロ&マクロな時間の流れ、2人が姉妹のようにじゃれ合い親しんだ少女期~30,40代女性への変換で経た、恋の破綻や家庭を持ってて、それぞれの母達の人生模様とか、携帯なども使うリアルな背景&やや非日常オカルト的な出来事、とかが淡々とした文体でブレンド。

確かに移り行く、時の流れ、女性2人の息遣い。でも別に同性愛的でも、互いの優劣を牽制し合ったり張り合う場面もない、幼少時からの延長の自然な2人の交流、というのも何処かファンタジック。

特別何が起こるという訳ではないけれど、やたらに何か起こらなくても、悠久の時の流れの中にあって、人生は十分豊かで、謎めいた事も起こったりする、というベースなのか、何だか、やたらエキセントリックな何かが起こる話、よりは私は好感。

葉山~逗子という穏やかな背景、世知辛さのない現実っぽさ+ファンタジー要素が入り混じったユニーク作、かも。

特に作風、文体とか朝吹登水子さん~サガンの影、のような印象もなかったですが、久方に読んだ女性作家小説、でもあって、やはり英語にはない日本語の流れの繊細な美しさ、というのも改めて、という後味でした。

関連サイト:Amazon 「きことわ/朝吹真理子」
関連記事:サガン 悲しみよこんにちは(’08)英検対策('09/6/8)’09年度ベスト5作品/DVD・ビデオ・放映鑑賞’10年度ベスト5作品/DVD・ビデオ・放映・上映会鑑賞<1><2>サガン 疾走する生(’09)

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by MIEKOMISSLIM | 2011-11-29 16:10 | | Trackback | Comments(0)
これは2ヶ月程前に読んでいた沢木本。8編からなる旅ルポで、タイトルの「一号線」はベトナムの国道、バスでそのルートをホーチミン~ハノイへと北上する旅で「ヴェトナム縦断」編からでした。

これは、この前に読んだ「イルカと墜落」('02)でのアマゾン奥地の次の旅で、プロペラ機墜落で炒めた腰や背中に、悪路でのバス旅行がリハビリ的に効くのでは?という、冗談も含まれた沢木さんの思い込み、から実現、という流れもあったようで。

その他、それ以前のホーチミンへの旅、ロバート・キャパ縁のパリ、世界へヴィー級タイトルマッチ取材のアトランティック・シティ、壇一雄縁のポルトガル、アルペンスキーのワールドカップ取材のアルプス、「深夜特急」旅らしい道中で美味だった思い出の貝とワインの酒場を探すスペイン、など。


読んだ当時は、それぞれ残るものもあったけれど、今振り返って印象的なのは、やはりベトナム中心に、沢木旅特有、というか、安くて美味しい(美味しそうに思える)食事、屋台や小さな食堂、ホテルバイキングなどでの、フォー、炒め物、スープ、ご飯など。

スペインは「深夜・・」旅も終盤だったけれど、そこの酒場で老人シェフが出してくれた、マラガ風貝の刺身+ワインが、「1年に及ぶ旅の中で、こんなに美味しいものを食べたことはなかった」、とあって、それが百円にも満たない値段だった、とか。


それと、ベトナム編で、ニャチャンでの逸話。茶色い髪の小柄な日本人女性とすれ違い、彼女が追いかけてきて「日本の方・・ですか」と話しかけてきて、沢木さんをカメラマンと間違えてるようで、ちょっと旅の予定など話をした後別れ、

印象的だったのは、その彼女についての、5,6行の記述。その後食事をしながら、「さっき会った女性を食事に誘ってあげればよかったかな、と思いはじめた。彼女も、ひとりで食事をするのかもしれない、あるいは、それが寂しくて声を掛けてきてくれたかもしれない。

しかし、すぐに、いや、と思い返した。ひとりの方が何かが起こる可能性がある。私と日本語でしゃべりながら食事するより、他の誰かと関わり合うチャンスを逃さない方がいい。元気そうな女性だった。彼女は大丈夫だろう・・・。」

こういう辺り、女性との距離感描写、が、何と言うか安心して沢木本を読める一因。様々な男一人旅の中で起こる、一部始終を書いてる、という訳ではないかもしれないけれど、独身時代だった「深夜特急」でも、女性とのアバンチュールめいた箇所は覚えなかった。

ドラマ化では、松嶋奈々子演じる恋人が、お金を届けがてら、フランスに会いに来る、みたいなシーンがあって、これはドラマ風に花を添える、といっても、やはり、現実のままだったか?さておき、実際そういう相手はいたのだろう、「深夜・・」はその相手に向かっての手紙、の趣もあったのでは、とは思ったのだけれど、

妻帯者の身、としても、沢木エッセイに、自分の家庭のことも書かない、でもそういう女性とのエピソード的な記述もないのは、根本的に配偶者への誠実さ、また少なくともその人への礼節、または読者への礼節、人としてのフラットさ、ではないかと思ったり。

沢木さんの妻の方、のスタンスや性分など知る由もないけれど、このニャチャンで遭遇した女性についての、この文を読んで、何も思わなくはないにしても、そう心煩わされる、という事もなさそうな、とも思うし、この当の女性が後に読んだとしても、傷つかないだろう、と。

そういう、この人のスタンス、というのが、確かに沢木本への好感の1つ、と改めて。


でも今日この「一号線・・」関連検索してて、ふと、沢木さんと藤圭子との過去、という記事を目にして、それは初耳。藤圭子、と言えば、そう言えば、「旅する力」('08)で、「深夜・・」旅の後日談、の一部で、パリの空港での遭遇エピソードがあって、それは沢木さんが彼女の1ファンだったから、かと思ってたら、そういう経緯が、と。

あの旅終盤では、まだ沢木さんは無名のルポライター、藤圭子は、前川清と離婚後、でもまだスターオーラの頃で、そういう噂の前段階で、ふと異国で遭遇、の一場面だったのだった。

最初見かけた記事では、沢木さんに妻子がいながら、彼女に密着取材しているうちに恋人関係に、という話だったけれど、何か違和感あって、少し検索してたら、どうも時期的に沢木さんの結婚前の話、のようで、

結局沢木さんは、その後、「深夜・・」の頃からの恋人?なのか、一般人の人と結婚、NYにいた藤圭子は宇多田氏と出会って結婚、宇多田ヒカル誕生、の流れ、だったようで。

その「旅する力」での遭遇エピソードも、何だか今の奥さんが、また恋人説が本当なら、あの空港での青年が沢木さんだった、と知ってる藤圭子自身が今読んでも、特に問題なさそうな、という、淡々とした描写。

沢木さんのスキャンダルらしきものを知ったのは、これが初めてだったけれど、その相手が”藤圭子”、というのも、結局一般人と家庭を持った、というのも、まあ思えばこの人らしい、という気も。

でも余り、そういう部分、特にリアルタイムな部分をあえて知りたい、とも思えないし、健さん同様、沢木さんブログもtwitterもないようで、良かった、と思うのです。

関連サイト:Amazon「一号線を北上せよ/沢木耕太郎」
関連記事:世界は「使わなかった」人生であふれてる(’02)血の味(’00)「愛」という名を口にできなかった二人のために(’07)銀の街から(’07、12月)(’08、1月)(’08,2月)(’08、3月)(’08、4月)(’08,5月)(’08、6月)(’08、7月)(’08、8月)(’08、9月)(’08、10月)(’08、11月)(’08、12月)(’09、1月)(’09、2月)旅する力 深夜特急ノート/沢木耕太郎(’08)LIFE 井上陽水~40年を語る<1>SONGS 財津和夫<1>/井上陽水<1>~<4>人の砂漠(’77)映画化人の砂漠(’10)あなたがいる場所/沢木耕太郎(’11)イルカと墜落/沢木耕太郎(’02)

           (C)(株)講談社
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by MIEKOMISSLIM | 2011-11-20 23:45 | | Trackback(1) | Comments(0)
先々週土曜、映画祭で行った阿佐谷図書館で発見の、未読だった沢木本「イルカと墜落」を一昨日読み終えました。沢木さんが、フランスのワールドカップ取材で知り合ったNHKのディレクターからの誘いで、アマゾン奥地に住むインディオの番組企画に参加、2度取材に行った時のルポ。

まず検索中、このタイトルが目に付き、取り合わせが?でしたが、「イルカ」は、最初の旅で、アマゾン川に生息する「ポト」というイルカの一種、「アマゾンカワイルカ」で、沢木さんは全身がピンク色の、そのオスに遭遇、というエピソード。

で、「墜落」は、2度目の時、沢木さんらが乗ったセスナ機が、エンジンの故障で、熱帯雨林の中の農場に墜落、という事故に遭遇、という自らの危機で、合わせてこのタイトル、だったのでした。


前半部で印象的だったのは、取材の対象だった、「イソラド」と呼ばれる、文明と接触なく暮らすインディオの人々と、そのインディオ対策機関のブラジル政府職員のポストロ氏。

ほぼ10年前のこの取材の時点で、数千とも数万人ともいた、という事実や、自分達の言葉や文化を持って暮らしてて、文明にも細菌にも抵抗力がないので、現代人と接することで、病気が広まって死んでしまい、前でクシャミをされるだけで、10人が死んでしまう事も、というデリケートさ、というのも驚き。

沢木さんらは、ポストロ氏への密着取材、同行、という手順で取材を進めるのですが、彼らにそのままの生活をさせる、白人を彼らの住む所へ行かせないことで、保護したい、という強い使命感。インディオが喜んだり笑ったり、という自然な状態にあることが、アマゾンにおける1つの美だし、自分自身の美だ、と。

当初、この人物のカリスマイメージを、「地獄の黙示録」のカーツと重ねていた部分もあった沢木さんが、彼と直に話をして、信頼感が芽生えてきた、と、いう流れ。

テクノロジー推進、土地開発、とは対極。偽善・売名行為とか自己満足とかという範疇にも当てはまらないような、スタンス。政府職員、という地位もあっての事で、世間にアピールする、それなりの機転の利かせ方、もあるのかも知れませんが、

世知辛い現代で、開発業者との摩擦とか、実質的に、自分に利益、追い風がある、とも考え難いスタンスに、信念を持つ生き方、というのも何か残るものが。

「イソラド」という、お伽噺的な存在と、その暮らしを守ろうとする、やはり、現代のお伽噺的な救世主ポストロ氏。そこに自然体で入って描写してみせる、やはり沢木目線、という地に足の着いたナビゲートの確かさ、のような感触も、という前半。


後半は、2度目の本格的取材、「墜落」までの、沢木さんの色々な予感・予兆めいたエピソードも織り込まれて、スパイス、というか。

その’01年出発前、沢木さんがその20年前飛行機事故で亡くなった向田邦子さんを忍ぶ会に招待され、結局参加したけれど、一度だけ面識あった後、「父の詫び状」文庫版の解説を依頼され、その最後の部分を書いている時に、ニュースで事故を知った、という縁で、

そういう縁の薄さと、20回余り飛行機を乗り継ぐブラジルへの旅の直前、という事で、参加をためらった、というのようなエピソードが始まり。


そして、出発日が日本時間で9月11日夜、台風の影響で1時間遅れで離陸、カナダ航空でバンクーバーに向かう途中、NYで9.11テロが発生、という遭遇。

予定のトロントには翌日の便で行けたものの、そこで1週間位足止めになったようで、交友あるらしい役所(広司)さんから、「沢木さんの行く所事件ありですね」というメールが届いてた、とか。

この本で、思いがけず、今まで目にした覚えなかった、ややクールな見方の、沢木目線での9.11、というのが少し書かれてたのも、印象的。

それとは別に、その少し前に、WTCにいた富士銀行の日本人幹部が、最後まで残って見届けるように、という社内マニュアルに従ったため行方不明になっている、というニュースが最も気になった話、として挙げて、

「我先に逃げて、誰かが死んだら、一生悔いることになるだろうから、そんなマニュアルに従わず、さっさと逃げたらよかったのに、とは思わない。もしそれが私であっても、最後まで残ろうとするだろうと思う。

マニュアルの問題ではなく、上に立つ、ということは、そういうことだという感じがあるからだ。普遍的でないにしろ、少なくとも日本人的な感覚として、それはある。」というような内容。

これが、沢木著でなかったら、やや立派で潔すぎ、そうは言っても、果たしていざそういう場面で、本当にそう振舞うんだろうか?と穿ったり、という気にもなりそうですが、何だか多分、ですが、この人は本当に、そうするかもしれない、と思えたり。


そして、1週間位かかってようやくブラジルに到着、ポストロ氏と合流、現地で乗ったセスナ機の、墜落事故。

まず飛行中、窓から燃料が漏れ出すのが見え、プロペラの片方が止まり、熱帯雨林がかなり近くに見えてきて、それでも、パニックな様子はなく、こういう事もあるのだろう、と、そう慌ててる風でもないのは、旅なれた沢木さんならでは、なのか、

セスナ機の構造が、墜落するにしても、スローな経過なのか、この事故の経過が、そういう風だったのか。

パイロットの指示で、一番後方にいた沢木さんが、機内の荷物を捨て続け、熱帯雨林がかなり近付いてくるのが見えて、さすがに、どうやら落ちるらしい、と悟ったようですが、

その時浮かんだのは、死への恐怖、とか家族への感謝、思いやりの言葉とかでなく、クルーの1人の口癖だった「マジかよ!」、マジで落ちるつもりなのかよ、だった、と。

でもそういう究極の所で取った行動も、沢木さんらしい、というのか。通訳の人がしたような、教科書通りの、頭を抱え低い姿勢になって背中を曲げる、というのが、前の席との距離からして、頭と首にダメージを受けそうで、そうはせず、

とっさに、座席の背もたれを抱え込んで、頬を強く押し当てた、こうすれば頭だけは守られる気がした、と。実際、教科書通りの行動より、怪我具合はどうだったのか?ですが、とっさに自分の直感を信じての行動、というのも、資質なのかもしれない、と。

どうも文面だと、そのまま直に墜落、というより不時着、という印象ですが、衝撃はそれなりに大きかったようで、胴体が真ん中から折れたようですが、乗客、パイロット共、顔や手に血を滲ませてはいても皆無事。このような墜落で、死人が出なかったのは奇跡的、と報道された、と。

農場に、でなく、熱帯雨林に落ちてたら、炎上して、もっと惨事になったかもしれず、沢木さんの訃報、という事にもなってたのかも、と思うと、沢木さんが、後に死はただそこにあった、という感じ、というのも何だか分かるような、とも。

そこで、救助に来たのが、救急車でも警察でもなく、地元の農夫達で、トラクターで運ばれ、町で救急車に乗り換えさせられ、かなりラフな無料の公共の病院に運ばれて、検査、軽い治療を受ける、というくだりも、かなりのアバウトさ。

沢木さんはどうも乗っていた5人中では、搭乗以降の記憶も繋がらない、という通訳の人と同じ位重症で、事故後胸や背中に痛みが残ったようで、NHK要請でクルーは帰国、取材中断、という形になったようで、その後、体の具合にもよるけれど、夏に予定の3度目のアマゾン行に参加するつもり、とあるのですが、

その後この企画はどうなったのか、少なくとも、この関連の沢木本は出てないようで、番組企画自体中止になったのか、番組にはなったけれど、沢木さんは参加しなかったのか?不明。当時、日本でもこの事故の報道も多少なりともあったかと思うのですが、どうも目にした覚えなく。

そういう波乱の後半、だったのですが、もう1つ、象徴的に挙げてたのが、前半の最後、沢木さんが船尾から船首に飛ぶのを見かけた、光の粒のようなもの。

船のクルーはそれを、「カーガ・ファーゴ」、糞(カーが)を火(ファーゴ)のように発光させながら飛ぶ虫じゃないか、と言ってて、その時は、何かの予兆でもなければ怪奇現象でもなかった、と納得してたのですが、

再度後半の最後に、その事を回想、あれは(飛行機事故で)私の消えようとしていた私の「命」だったのではないか、でも、何かの力によって、奇跡的に生命の波動を取り戻した・・。でもすぐに、打ち消して、何かの力など借りはしなかった。私は偶然飛行機事故に遭って、偶然に助かった、それ以上でもそれ以下でもない。

という所が、この人の記憶力や神経の細やかさ、かつ、現実的な、らしい、という締め方、だと。


あと印象的だったのは、枝葉的な所ですが、沢木さん文での、食事。

ブラジルのヴァリグ航空での、ある時の機内食が、チーズとハムが載った厚手のワッフル、食べ易いようにきれいに切って盛られたパパイヤとオレンジ、パイナップルが薄くスライスされて載ってるスポンジケーキのデザートなど、これまでにないおいしさだった、とか、

事故機に乗った現地の、リオ・ブランコという街のホテルで、ボーイが好意で持ってきてくれた朝食、パン、バター、カフェオレ、ジュースや、パパイヤ、スイカ、バナナの果物が皿に綺麗に載った皿、というのが、簡素だが充実したメニューだった、というような描写。

「深夜特急」でも、旅を終える決意をする、ポルトガルの果ての岬のペンション、海に面したテラスでの、パンとジャムとバター、コーヒー、という朝食が、とても豊かに思えた、という覚えがあって、

見直してみると、「これ以上簡単な朝食もなかったが、私にはこれ以上豪華な朝食もまたないように思えた。」とあったのでしたが、

豪勢な旅行、でなくいわゆるエコノミー旅、の中の描写、だからか、そういう素朴な品揃えの食事の豊かな美味しそうさ、というのが今回も。


そういう所で、前半の、本来の「イソラド」取材、アマゾン紀行から、思わぬアクシデントの後半。ちょっと異色な展開でしたが、9.11も絡んだり、まさに実録”墜落記”になったり、ルポならでは、という臨場感、それもやはり沢木語り口味わい、の1冊、という所でした。

関連サイト:Amazon 「イルカと墜落 / 沢木耕太郎」
関連記事:世界は「使わなかった」人生であふれてる(’02)血の味(’00)「愛」という名を口にできなかった二人のために(’07)銀の街から(’07、12月)(’08、1月)(’08,2月)(’08、3月)(’08、4月)(’08,5月)(’08、6月)(’08、7月)(’08、8月)(’08、9月)(’08、10月)(’08、11月)(’08、12月)(’09、1月)(’09、2月)旅する力 深夜特急ノート/沢木耕太郎(’08)LIFE 井上陽水~40年を語る<1>SONGS 財津和夫<1>/井上陽水<1>~<4>人の砂漠(’77)映画化人の砂漠(’10)あなたがいる場所(’11)

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by MIEKOMISSLIM | 2011-08-23 19:30 | | Trackback | Comments(0)
先日で、サガンの評伝を読み終えました。一昨年6月「サガン~悲しみよこんにちは~」を見た時に、劇場で買ってた本で、ボリュームもあったのですが、足掛け2年余りで。

なかなか一気には進まず、放置してた時期も割とあり、最近また少しずつ進めてて、先日高井戸訪問で母が仕事を終わるのを待ってる時に、後ろの4分の1程を読み終えたのですが、初めて行った西友のベンチで読むサガンの人生、というのも、何だか異次元感覚も。

一昨年前まで私が知ってたサガン関連人物、と言えば、初婚の時の夫、ギイ、親友ベルナール、息子ドゥニ、サルトルとの交友、オーソン・ウェルズ、ビリー・ホリディ、新潮文庫のサガン小説の表紙のビュッフェ、位で、

映画で新たに知った人物もあったですが、この本では、作者のマリー=ドミニク・ルリエーヴルの綿密な取材で、色々次々人物が登場、それも、読み進めるのが滞ってた一因でしたが、やはり終盤も色んな人が続々登場。

それでも、やはりこれを興味途切れず一通り読み通せたのは、ひとえに、以前サガン小説が好きだったから、その愛着で、サガン自身の面影、エキスのようなものが、味わいだったから。やはり2時間の映画よりは、その人となりが、細かく描写されてた感で読み応えありました。


サガンの車やギャンブル絡みの破天荒な生活は、インタビュー本などで前からそれとなく知ってましたが、映画とこの本で、イメージよりも深刻な薬物依存とか、バイセクシュアル癖、なども今にして、そうだったのか、という所で、

また、2度の結婚生活の、幸福もあっても悲哀、無防備、繊細、ある品性を崩さない一線、聡明さと軽率さ、少女っぽさと大胆さ、とか入り混じった人間性の一画、というのも今にして。

昔、サガン本を好きで読んでた頃は、作者のそういう部分は全く知らず、ただ、そこに繰り広げられるフランスブルジョア階層の、恋の世界、微妙な心のアヤ、何か人の本質を突いてるような描き方、など子供なりに惹かれて、その後も近年まで、折々味わってきたのでしたが、

前に年間ベスト記事に書いてたように、そういう実態は情報として知らなかったからこそ、作品自体、その作家としての力量を、そのまま純粋に受け入れられた面も、とも。

サガンは最後までカミングアウトはしなかった、という所からしても、性格的にも、もし現代であっても、プライバシーには一定の線を守るタイプだったのでは、と思うのですが、

やはりもし、同時中継的に、今時のように、エキセントリックさやスキャンダル的関係などの、素顔がネット上で散りばめられていたりしたら、果たしてそのままに小説の繊細さを味わえたか、というと、無理だったかと。


敗戦、戦後を子供時代に体験、収容所の残酷な様子なども目にしたり、という影も持ちながら、社会的に切り込む作風でなく、自分の住む階級の、内面世界を描いたサガン。彼女は自分の苦悩を読者に押し付けたりはしなかった、読者は自分の悩みだけで精一杯なのだ、というような記述もあったり、

サガンの無頓着さ、人の良さは、世知辛い現代だったら、誤解を受けたかもしれない、というような趣旨の所もちょっと印象的だったのですが、今思えば、サガン世界の、世知辛さのない洒脱さ、優しさ、鋭いというより、軽い苦笑い的なシニカルな所とかが、好きだった、とも。


新たに知った交友歴で印象的だったのは、ミッテラン大統領から、詐欺師まがいの人物、’04年の臨終の時、その手を握ってた世話役の老女マリーなど、幅広さも改めて、でしたが、やはりペギー・ロッシュとフロレンス・マルロー。

フロレンスは、映画ではマルゴ・バスカルが演じてて、彼女とは、多分生粋の友情で結ばれてた、という関係のようですが、アンドレ・マルローの娘、この本で知る限りでも、芯はあっても、サガンとは対をなすような、一歩引いたような落ち着いた聡明さで、サガンを支えてた、と。

かつて映画監督アラン・レネと結婚、数々の監督の助監督を務めてた、とも。ベルナールは、「一年ののち」などに登場人物と同名、彼がモデル、というような事も聞いたのだったか、前から知ってたのですが、フロレンスもサガンにとって、彼に劣らない、身近な存在だったのだった、と。

それと映画ではジャンヌ・バリバールが演じてた、ペギー・ロッシュ。人物的魅力、というより、やはり本でも、サガンの最愛のパートナー、彼女の死が、サガンに与えた衝撃の強さ、という部分が映画より細かに書かれてて、サガン自身の孤独の深さ、というものも浮き彫りになったようで、頭に残ったエピソード。

個々の作品には折に触れられてても、特にそれ自体の項目、というのはなかったですが、サガン伝説のその実態に迫った、という味わいあった1冊でした。

関連サイト:Amazon 「サガン 疾走する生」
関連記事:サガン 悲しみよこんにちは(’08)英検対策('09/6/8)’09年度ベスト5作品/DVD・ビデオ・放映鑑賞’10年度ベスト5作品/DVD・ビデオ・放映・上映会鑑賞<1><2>

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          著者:マリー=ドミニク・ルリエーヴル/訳者:永田千奈
     
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by MIEKOMISSLIM | 2011-08-19 22:14 | | Trackback | Comments(0)
少し本の整理してる時、目に留まって、久方に開いた「萩尾望都作品集17 アメリカン・パイ」。収録は「アロイス」「アメリカン・パイ」「白い鳥になった少女」「赤ッ毛のいとこ」だったのでしたが、ざっと読み返してみて、改めてノスタルジーと少し新たな感慨。

やはり表題作「アメリカン・・」が目玉。マイアミで気楽に暮らす売れないシンガー、グラン・パと、突然現れた、謎の、少年のような少女リューとの交流。

ステージで彼女が、即興で歌う故郷の風景の歌の清冽さに、皆が驚き。でも彼女は、不治の病を負っていたフランスのボルドーからの家出少女、と判り、残された時間はわずか。

彼女がグラン・パに、ボルドーという美しい所で、自分1人の思いなどおかまいなく季節が過ぎていく、そうしたら、思いはどこにいくのかしらね、等と語る、無常観的な切なさ。

両親もマイアミに駆けつけ、グラン・パに憤りと悲しみを訴えますが、「あんたらはまな娘を失うがリューは自分自身を失うんです」「あいつが歌う時は真正面見てんです」と、彼女が歌うことで、死への恐れから気持を浄化させようとしてる旨を静かに語られ、涙。マイアミでそのまま過ごさせることに。

彼女を見守り、「古い古い歌が、残ってるように・・・果てぬ闇の底に 想いだけは残るのだ」、とステージで歌うグラン・パ。彼女が亡くなるシーンはなく、グラン・パの回顧の形。

ラブストーリー、という訳ではないけれど、ラフで温かな交流+今改めて、死生観のようなエキスも漂って、いつか、これは少女の魂の救済の話、という評も見かけたことがありますが、やはり珠玉作。萩尾作品は、SFものや、「ポーの一族」、少年もの等もありますが、やはりこれがマイベスト萩尾作品。

タイトルは、リューがよく歌ってたドン・マクリーンの曲、マドンナのカバーも。大分前のこの歌詞コピーと、自分でした訳も発見。サビのメロディは頭に残ってますが、歌詞は断片的で、今一意味不明だったのだった、と。

夢をそのまま歌詞にしたのでは?とか、訳が判らない、難解、反体制的なものが格好いい、という風潮だった頃の表れ、等というのも見かけたり。



私の後年のアメリカバスの旅は、沢木「深夜特急」影響は確か、で、マイアミに行った時も、特にこの「アメリカン・パイ」を思い起こすこともなかったですが、今思えば、潜在的に何(十)%かは、この影響もあったかも、と。

これは前に宝塚で上演されたようで、今となって掘り出される可能性も少ないと思いますが、下手にドラマ・映画化等されて欲しくない、これはこれで萩尾コミックならでは、という世界、というのが正直な所。


その他3篇は、どうも記憶薄れてて、「赤ッ毛の・・」はややホロリ人情のコミカルな4Pずつ10編集。「アロイス」は、主人公の少年の中に住む、生まれたばかりの頃死んだ双子の弟の人格、それが自分自身の肉体を欲し始めて、という心理サスペンスだった、と。

「白い鳥に・・」は、小鳥が少年に自分の身の上を語りかけた、童話風。生き物を平気で殺し、見栄のため母親を見下し敬遠、自分のドレスのため水溜まりにパンを落とし踏みつけた少女が、その罰でそのまま沼の底に沈められ、地上での自分の悪評にも改心せず。

でも、嘆きながら母が死に、そういう自分がかわいそう、と言って泣いてくれる幼い少女の姿に、初めて涙して、それを機に灰色の鳥に。

パンの欠片を、他の小鳥達に分け続け、それが自分が踏みつけた分のパンと同じ量になった時、まばゆい白い鳥になって海を飛んで行くのだろう、という少年の夢想で終わる話、だったと。

これは児童文学風ですが、「アロイス」と共に、文芸作品のような風情も感じたり。英検2次過去問で、「マンガとアニメは日本の伝統的な形の文化と同じ価値があるか?」というトピックなどもありましたが、まさにその通り、と改めて、という萩尾作品回顧でした。

関連サイト:Amazon 「萩尾望都作品集17 アメリカン・パイ」アメリカン・パイ 歌詞・訳詞
関連記事:アメリカの旅<7>竹宮恵子トキワ荘の青春(’96)-追悼・市川準監督ー

             (C)(株)小学館 
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by MIEKOMISSLIM | 2011-07-17 22:35 | | Trackback | Comments(0)