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Something Impressive(KYOKOⅢ)

西鶴一代女(’52)

昨日、近くの成田図書館の映画会で「西鶴一代女」上映、都合も合ったので見てきました。

本来は今回、今月この図書館での区制80周年記念、杉並区誕生の'30年代に着目の秋の映画会「1930年代のキオク」の最終回、アンケートで1位だった「祇園の姉妹」上映予定だったのが、

会場に行ってみたら、張り紙で、機材の不調のため作品変更の知らせ。同じ溝口健二監督作品のこの「西鶴・・」上映、とのことで、上映前に係りの女性からも同様の説明。

「祇園・・」だと上映時間68分、割と早く終わる、と思ってたのが、「西鶴・・」は137分、しかも、この作品は初耳だったけれど、タイトルからして多分西鶴の「好色一代女」ベースっぽく、

小説、現代語訳など読んだことはないけれど、そう見てみたい内容とも思えず、見るのはやめようか、と思ったけれど、せっかく来たんだし、と、とりあえず見始めることに。


上映まで、ここでの上映会のいつものように、陳列の関連図書の中から、文庫の佐藤忠男著「溝口健二の世界」を取って、この作品のページを見たら、

やはり原作は「好色・・」、でも、'50年頃の日本の映画観客の好み、またヒロイン役田中絹代、ということもあって、原作とは違って、ヒロインは売春婦でありながら信じがたい真面目な女になっている、

などとあったのだけれど、正直、見てる内に嫌気がさしてきたら帰ろう、と思いつつ、始まって、モノクロで、着物姿の女性が歩いてる後姿を追うオープニング。

そこからそのヒロインお春の売春婦らしき境遇が判って、仏殿である仏像の面影に、ある男の顔を重ねる所から回顧シーン、終盤、そのシーンに戻って、さらに続く物語、だったけれど、

序盤、これは意外と純愛悲恋もの?と思える流れもあって、そこから時代柄も絡んで、お春は様々な女性としての逆境、試練、波乱、悲運などなどで翻弄され、確かに身分的には否応なく落ちぶれていくのだけれど、

このヒロインに1本の筋が通ってた感じもあって、結局最後まで鑑賞。上映会で折に、途中で席を立つ人もいるけれど、今回は他の人もそういうことはなく。

まあ地味ではあったけれど、ヒロイン苦難の人生、苦味はありつつ、予想よりじんわり染みるような後味で、そう悪くはなかった感じ。


後でYou tubeで、序盤の方など、かなり映像は暗いけれど、英語字幕付での全編発見。先の文庫で、この作品は、ベネチア映画祭で監督賞受賞、溝口監督の名が世界的になったきっかけの一つの作品だったのだった、と。





11/25追記:実年齢40過ぎだったらしい田中絹代が演じた、(さすがに娘時代の13才、というには無理があった気するけれど)10~50代のお春。彼女を巡る、様々な男達。

真摯だったのは、まず、最初の恋の相手で、中宿で会っているのがばれて打ち首になった公卿の勝之介(三船敏郎)。

ここら辺、身分違い、と言っても、お春も良家の娘で御所勤めをする身、勝之助も公卿の肩書きがある若者、両者独身で、別に不義密通、という訳でもないのに、

男は打ち首、女は家族共々土地から追放、というのも?で、お春の年齢のせいだろうか、とも思うのだけれど。

そして、彼女に思いを寄せて結婚した扇屋の弥吉(宇野重吉)。色々あった彼女の過去を知りながら受け入れ、平穏な生活を送り、ここら辺が落ち着き所、という感だったけれど、彼も金取りに襲われて急死。


彼女を気を寄せて妻にしようとしたり、駆け落ちしたりしたけれど、人物自体はいい加減、結局捕らえられてしまった、贋金作りの田舎大尽(柳永二郎)や、盗みを働いてた文吉(大泉滉)。

好意から彼女を住み込み女中にさせたけれど、彼女が島原の遊郭で働いていた過去を知り、妻がいながら彼女に色目を見せた笹屋喜兵衛(権藤英太郎)。

そしてお殿様、松平清隆(近衛敏明)。女性の容貌への細かい好み、それを元に部下が、側室探しに奔走、というのも妙にコミカルだったけれど、春はその好みの美貌に一致、取り立てられ、嗣子を生むけれど、

清隆の寵愛を受けすぎ、このままでは彼の健康が危ぶまれるから?という、今一妙な理由だったけれど、多分何らかの妬み~企みで、実家に追い返されてしまい、清隆もそういうことには何も権限がないのか、そこで縁切れ。


またお春の父新左衛門(菅井一郎)も、余り娘への愛情、というより、娘を通しての実益に一喜一憂、という世知辛い節が見られ、そういう部分も、お春が実家に戻ろうとはしなくなった一因、という感じ。

そういう、彼女を巡る様々な男達の、愛情、欲望、卑しさ、情けなさ、醜さなどの様相。


また、そういう男達の周辺の女達の、彼女への嫉妬、という様相もちらほらあって、

松平の奥方(山根寿子)の、正妻としての威厳を保ちつつの穏かならぬ心中。まあ改めて、正妻と側室を両脇においての浄瑠璃観劇のお殿様、が、真っ当にまかり通っていた時代の、何とも無節操、破廉恥な無神経さ。

そして、笹屋喜兵衛の妻お和佐(沢村貞子)は、ある身体の悩みの秘密をお春だけに打ち明け、信頼を寄せる節もあったけれど、お春の経歴を知って、手のひらを返したように冷淡になり、

女中をするのも夫への接近が目的、となじり、その秘密を巡ってお春もささやかな逆襲、ややコミカルな所もあったけれど、お和佐の嫉妬が原因で、ここも出て、

老尼(東山千恵子)の元へ身を寄せるけれど、結局彼女にも誤解されて追い出され、という世間を流転の日々。


そういう彼女に終盤、ついに救いの手が、と思えたのは、嗣子として生んだ直後に引き離され、成長した実の息子が、若殿になって、実母のお春を迎え入れたい、という意向を、再会した母(松浦築枝)伝えに聞いた時。

でも結局、お春の遊郭経歴に、その息子自身か側近の計らいか?で、その話は流れてしまい、お春はただ庭から、廊下を歩いていく息子の姿を見るのを許されたのみ。

そこら辺は、男女の、でなはく親子の、という所だけれど、その時、自然にその成長した息子の姿を追っていくお春、止める侍達に、あの子を産んだのは私です!と、一瞬彼らもひるむ威厳を見せ、庭を行く姿、が印象的なシーンの一つ。


そして一番インパクト残ったのは、それより前、息子の幼少時、門前で三味線を弾いて物乞いをしている時、彼を乗せた籠が通りかかり、彼に側近が何か食べ物を渡すため止まり、一瞬簾が上がり、

それを眺めようと少し歩み寄り佇む春、実の息子との、えもいわれぬ距離に、その後、元の場所に戻って悲しみに嗚咽、身を震わす姿。

嗣子を産んだ側室、というのも、場合によっては待遇も違うのだろうけれど、後ろ盾のない身の弱み、というのもあってか、一女性、母、人間として、久方に見た、何とも悲哀漂うシーン。


そういう所で、文庫の佐藤氏の言葉を借りたら、「溝口健二は、・・男達の弱さ、卑しさ、醜さのすべての罪を引き受ける、もっともみじめな女でありながら、逆に崇高な輝きをもって男達を恥じ入らせる霊的な女を描こうとしたのである。」とも思うのだけれど

この作品は、前述のように、予定作品変更、での思いがけない鑑賞。私は溝口作品は、大分前何か見てるかもしれないけれど、定かにこれ、と題名を挙げられるものはなく、当初予定の「祇園の姉妹」は見てみたい、と思ったのだけれど、

正直やはり、元々この「西鶴・・」の予定、だったら、多少内容チェックの上、でも、あえて上映会に足は向けなかった、と思う。

上映前も半ば、何なら途中で出よう、と思いつつ、最後までそれなりに物語に入って味わえたのは、

やはりヒロインお春が、勝之介の遺言の、「真実の思いに結ばれて生きるように」という趣旨の言葉が内面に残した”純粋さ”と呼べるものなのかどうかは判らないけれど、

当時の市井の女性として、封建制度の世間で様々に翻弄されながらも、見えずとも貫かれてた1本の”筋”があって、それを追っていく感覚だったから、と思う今回でした。

関連サイト:Amazon 「西鶴一代女」成田図書館 映画会象のロケット 「西鶴一代女」
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               (C)東宝
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Tracked from 象のロケット at 2012-11-26 07:50
タイトル : 西鶴一代女
封建制度化にあって御所づとめを始めた少女時代からの流転の人生を描く傑作。 原作:井原西鶴『好色一代女』... more
by MIEKOMISSLIM | 2012-11-25 01:18 | 邦画 | Trackback(1) | Comments(0)