2014年 08月 14日
アニメーションは七色の夢を見る 宮崎吾朗と米林宏昌
やはり「思い出のマーニー」公開タイミングに合わせて、だと思うけれど、米林サイドの「・・マーニー」制作と、宮崎サイドのNHKBSの新TVアニメ「盗賊の娘ローニャ」制作の様子を並行して、の内容。
「・・マーニー」は宮崎駿監督も前から原作が気に入ってたけれど、
余りに(少女の)”内面の問題”なので、映画化は無理、アニメには出来ないだろう、としていた作品だったそうで、それに臨んだ米林監督。(→チラシ)
宮崎・高畑両監督が参加しない最初のジブリ作品で、制作に取り掛かる前スタッフへの挨拶で、
宮崎監督が引退したから、こんな作品しか創れなかった、とは言われたくない、などと決意表明、激励してて、
この作品を選んだのは本人でなく、鈴木プロデューサーらが、多分米林監督の資質も考慮して、だったのだろうけれど、まあこういう過渡期だからこそ、実現した企画、とも改めて。
米林監督が冒頭で、杏奈の描写の特徴として、目の下の黒い線を入れないことで、ちょっとした表情の変化が出れば、のように語ってたり。
やはり今回も、色々細かい所への工夫、こだわり、というのはいつものことなのだろうけれど、
やはり杏奈の微妙な心情表現、には苦心があったようで、初めて「湿っ地屋敷」を見た杏奈、のシーンで、わずかな時間の、髪や背景の草のなびきをどうするか、など映像を見て、スタッフと協議してたり、
心の内を余り表情に表さない異色ジブリヒロイン杏奈の微妙な心情を、ナレーションに乗せるのもやりたくないし、行動や表情の変化で表せれば、などと語ってて、
水や草などの自然描写での工夫と合わせて、確かに宮崎作品のダイナミック映像、とは一線を画す新たな路線、と改めて。
そういう繊細な方向を探っていける米林監督は、先日も原画展で、少女画が得意でルーツは少女漫画好き嗜好、というのもあったし、
「・・アリエッティ」では、アリエッティのちょっとした仕草などにそういう資質も垣間見えたりしつつど、基本的に宮崎駿監督脚本、というのもあって、そう繊細な少女の心情表現、という感覚はなかったけれど、
ちょっと風貌はもさっとしてるけれど、この人ってある種、岩井俊二監督や松本隆のような”女の子感覚回路”を自然と備えた男性クリエーターじゃないか、という感じが今回じわじわ。
それと、今回美術監督は種田陽平氏、実写畑の人がアニメの、というのは異例らしく、
多分「・・アリエッティ」の時の、美術館展示での小人ワールド立体化功績があっての今回の抜擢だろうけれど。(チラシ裏→)
これまでなかったリアルな背景創り、というのも特徴、先日の「・・マーニー×種田陽平展」(↑左、チラシ)でも、屋敷の模型や、実際に家が建てられそうな、という設計図もあったけれど、
部屋の細部にわたってのリアルさ追求のための細かい指示、
マーニーの部屋の模様のあるベッドの布団にマーニーが飛び乗る6秒程の映像のために1か月かかったり、とか、アニメーター達も本当に大変、時間が押してくるのも当然、というか。
私が作品を見た時感じた昔の”少女漫画”テイストも、ストーリー内容+そういう細かいこだわりの甲斐あっての映像美、もあったのかも。
8/16追記:先日鈴木プロデューサーから、一旦ジブリ制作部解体の発表、それは春頃にはスタッフに伝えてあった、と見かけ、
「・・マーニー」が宮崎作品並のヒットはないだろう、と見限ってか、この作品の評判がどうであれ、内部事情での決定か?不明、
一部に宮崎・高畑後継者が育ってないから、のような声もあるけれど、私は今回米林監督が創り上げた繊細少女コミック風路線が気に入って、この監督を一つの軸にジブリの新たな息吹が、と期待を持ったのに、正直とても残念。
一方の宮崎吾朗監督、ジブリを出て、父の庇護のない所でやってみることを勧めたのは鈴木プロデューサー、だそうで、これももしかして、今回の発表を見越しての勧め、だったのかどうか?だけれど、
ジブリの手描き作業とは全く違う、3DCG駆使で、よそのスタッフとの現場での、こちらも色々と苦心だったようで。
でも、そもそもが建築畑出身で、そんなにアニメーターとしての経験ない時に「ゲド戦記」デビュー、を果たしたように、初の3DCG作品制作中も、それなりに対応してスタッフを引っ張っていってるような様子は、さすがに才能、というか。
宮崎駿監督が、米林、吾朗両監督の個性を比較して、麻呂の方が官能性がある、「・・アリエッティ」で形にして、大したもんだ、
吾朗監督については、粘り強さには感心する、よくこんな無謀なこと(親父の通った所を通る)をやる、どれ程の困難を伴うかと思う、僕ならそこでは勝負しない、のようなコメント。
まあ確かに、同じ映画監督、しかもアニメ、偉大な父と同じ道、というのは、長嶋一茂とかカツノリとか、俳優でも2世は色々いるけれど、
こういうジャンルだと、出来た作品自体の個性、というのはあっても、興行収入などでははっきり比較されてしまうし、だけれど、今の所、そこそこの高評価できている、というのは、それなりの資質の証明、でもあって、神経も太い人なんだろうか、と。
米林監督は、アニメーターの頃から宮崎駿監督に直接ノウハウの指導を受けたけれど、吾朗氏は一度も父からアニメについて教えられたこともなく、「ゲド戦記」の時も、父は猛反対してた、というのもあってか一切ノータッチ、
でも、その背中を見て育った父への敬意、というのは番組中もちらほら見えて、この世界が子供達が生きるに値する、ということを表現したい、などというのは、いつかお父さんも言ってたことそのままだし、
路を歩きながら、(父は)拾って歩く天才、者に限らずアイデアとか、本の中や現実の自分の周り、本当に拾って歩くのが得意と思う、だからオリジナリティがある、
拾ったものだけど、他の人にはガラクタとか、そもそも目に入ってないものを拾い集めて、それがこうだって組み合わさった瞬間に作品性のある希代なものに変身する、などと分析、
この人が父についてこういう風に話すのは初めて聞いたけれど、やはり父(の創る作品)への憧れ、積み重ねてきた思い、というのは根強かったようで。
私は「ゲド戦記」の、手嶌葵の「テルーの歌」シーンは結構インパクト、
でも全体の後味はやや微妙、「コクリコ坂」は、何だか”ジブリ後継者”っぽい安定感、+情感もあって良かった、と思ったけれど
本人は、自分は、この仕事出発時に、例えばアニメーターから始めた、とか、たたき上げてるわけじゃない、若いうちから積み上げて今がある、ということじゃない、
そうすると、自分の軸足をどこに置くのか、という問題もあって、今回ジブリを出て、この3DCGアニメで、自分の確かな軸足を作りたい、ということが背景にあったようで。
番組中、両監督とも、互いの動向、新作進行具合を気にしてる、ようなコメントもあったけれど、
吾朗氏にとっては、いくら駿氏の息子、という持って生まれた肩書はあっても、米林監督のような、ジブリたたき上げスタッフへの引け目、遠慮、というニュアンスも多少あるのか、
鈴木プロデューサーの勧めというのも含めてジブリ自体の節目、ということも大きかったのか、自分の資質も総合して、ということか、そのミックスか?。
資質としては、やはり米林監督の今回見せたナイーブ路線とは違う、ヒロイン少女の扱いについては、そう繊細、というより正当ジブリ的な、凛としてキビキビ正義感タイプ、なのかと思うのだけれど。
「・・ローニャ」自体は、ジブリで前から何度も作品化が検討されてて、「長靴下のピッピ」と同じアストリッド・リンドグレーン原作の企画を吾朗氏が持ち込んだ、という形のようで、10月スタート、テーマ曲を歌うのは再び手嶌葵らしく、
連続TVアニメって、長らく遠ざかってるけれど、これはやはりとりあえずちょっとチェックしてみたいと思う。
そういう所で、ジブリ後継者候補と言われてきた両監督の新作制作ルポ、ジブリ制作部解体ニュースもあって、ちょっと今後進路は?、だけれど、
記憶に新しい「・・マーニー」制作の裏舞台含め、2人のこれまでのプロセスや個性比較など、なかなか面白い内容でした。
関連サイト:アニメーションは七色の夢を見る 宮崎吾朗と米林宏昌、思い出のマーニー 公式サイト、盗賊の娘ローニャ サイト
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