先日11日(火)、神保町の一ツ橋ホールで、昨日公開の「私は、マリア・カラス」試写会、「いい加減な・・・」ブログのいい加減人(Yamato)さんとご一緒して鑑賞。
手掛けたのは、これが初の長編作品らしい、初耳だったトム・ヴォルフ監督。
レジェンド歌姫マリア・カラスの舞台パフォーマンスやインタビュー、生活ぶりの映像、手紙、等でのドキュメンタリー。<チラシ表→>
手紙の朗読は、以前「永遠のマリア・カラス」という作品でマリア役を演じたらしい、ファニー・アルダン。
マリア・カラスって、有名スターとして名前は馴染みだけれど、思えば本人の歌声、姿、代表曲って特に具体的に浮かばず、だったけれど、
今回、圧倒的な声量、美声での滑らかな歌いっぷり、海運王オナシスとの華やかかつ波乱の恋愛沙汰もあり、押しも押されぬ大スターだったゴージャスな様子や、
反面、興行面でいわれなきバッシングを受けたり、長年の関係を築いていたオナシスの仕打ちによって深く傷つく、繊細な人間、女性としての面など、
こういう人だったのか、と大まかなことが今にして判った、という所。
12/23追記:そもそも自らの意志ではなく、その並みならぬ才能を活かそうとした母親の教育方針のたまもので歌手になったのだった、ということだけど、
印象的だったのは、やはりまず彼女の声帯=一つの名楽器、というような完璧というか見事な歌唱シーン、特に聞き馴染みの「カルメン」の「ハバネラ」とか。
今回歌に合わせ出た字幕で、漠然としたイメージ通り女側から相手を手玉に取る的な、まさにそういう内容だったのだ、と。
それと、体調的に不安定で、歌手としてのキャリアよりも女性として幸せならば、と、
愛するオナシスを頼る気持ちに傾く節の切々としたラブレターらしき手紙があったけれど、
その思いは受け入れられず、それどころか、彼とジャッキーの結婚を新聞で知った、という衝撃。
私はこのオナシスとジャッキーカップルについても初耳、この後日談も続いたけれど、
何ともゴージャスというか、濃いキャラクター3人の三角関係があったのだった、と。。
でもマリアはその当時の大打撃から、不死鳥のように再び歌い、活躍し始めて、というのが、
やはり並外れた歌姫としての底力あっての人生の危機脱出、だけれど、ある種の孤独な宿命という感もあってじんわり切なかったり。<チラシ裏↑>
そういう所で、ほとんどその名を知るのみだったマリア・カラスの、実際の圧巻の歌唱シーン、そして人生の機微を味わえて、
故人題材のものとしては、当時の数々の映像、(個人としての尊厳を損なうというラインは、まあ越えてなさそうな)手紙など、
細部の取材で構成されていた音楽ドキュメンタリーで、満足でした。