カテゴリ:本( 17 )


被写体 / 三浦友和(’99)

先日、図書館から借りてた三浦友和のエッセイ本「被写体」読了。

これは少し前ふと、結婚前山口百恵が受賞の場で会場にかかってきた三浦友和からの電話で涙、の動画をYou tubeで見かけて、改めて何だかしみじみいいシーン、と感心、そういえば長らく気にはなりつつ未読だった、と思い出して読む気に。




近年の例によって、銀色夏生の「つれづれノート」シリーズと共に寝る前少しずつ、だけれど、読み易さもあって、気付けば結構一気に最後まで。


まあ読んでいる内に、ぼんやり覚えある三浦家への暴漢侵入事件など、本当に一歩間違えば大変な惨事になり得たような状況だったのだ、ということや、

今や2人共成長して芸能界にいるけど、子供の幼稚園入園の時の、夫妻とマスコミとの混乱、というか体を張っての攻防の、記憶より結構酷かった有様、などなど、

宿命的に「被写体」として追われる一家の想像以上のリアルな大変さ、と同時に、三浦友和という人が色々悩みつつも、彼女、子供を守ろうとする男気というか、一個人として地に足のついた姿勢が伺える文面に、

やはり百恵ちゃんが自身の輝かしいキャリアよりも、主婦になって一生を預けることを選んだ相手として、確かに見る目はあったかも、感しみじみ。

4/22追記:それにしても、当時のマスコミ包囲網の中、外に出ること=身の危険、という、例えるのも何だけどさながら”アンネ・フランク”状態だった百恵ちゃん。

無事長男出産、その子供の近い将来の幼稚園送り迎えのため彼女が運転免許をとろうとした際も、表現・報道の自由、という名目のもとで教習所に殺到したマスコミ。

ついに三浦友和の事務所から法務省の人権保護局、という所に働きかけて、各マスコミ機関に「勧告」してくれて、何とか殺到は止んだけれど、

彼の心中での、そういうお上からの勧告で、いともあっさり手を引くマスコミが「報道の自由」を唱える矛盾への憤り。

幼稚園入園式の際も、致し方なくその局に働きかけたけれど、事前に措置をとる行動は困難、と言われ、自分達だけで対応しなければならず、その結果があの騒ぎになって、夫妻、子供の心の傷になったこと。

出産の際などの、幾つかの夫妻のインタビューも、混乱を避けるため否応なく取らざるを得ない手段だった、とか、

一番印象的だった襲撃事件の直後の報道で、自宅の見取り図らしきものが紹介されたり、TVでのデリカシーのないゲストの言葉で百恵ちゃんが傷ついたり、

まあ、これは確かに「芸能人本」ではあるのだけれど、何だか「蒼い時」で彼女が三浦友和という人についての、出会った当時の割とぶっきらぼうな印象、飾らない率直なマスコミへの対応、のような節があったのが頭をよぎったりしたけれど、

これまで読んだ中でも、芸能界というある種特殊な世界に生きつつも、最も一般人感覚、で、(元)人気スターを取り巻く異様な状況を端的な文章で描いて世間に訴えたエッセイ本、という、ちょっと独特な後味の1冊でした。


                 <(C)(株)マガジンハウス>

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by MIEKOMISSLIM | 2018-04-18 00:40 | | Trackback | Comments(0)

国境の南、太陽の西 / 村上春樹(’92)

4月後半に「何でも見てやろう」読了後、吉田ルイ子と銀色夏生本と共に少しずつ進めていた、村上春樹本読了。<(C)(株)講談社↓>
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例によって寝る前にボツボツだけど、終盤はどうなっていくのか?引き込まれて結構一気に最後まで。

後味は、はっきり言ってどんより重い、というか、まあ読んで意気が上がるものではなかったのは確か。


「ノルウェィの森」に被るテイストもあって、大雑把に言って、主人公はそのままトオル→ハジメ、直子→島本さん、緑→有紀子、

子供時代から心奪われていた女性島本さんとの、数奇で甘美な再会~現実に生活の中にいる妻有紀子の元に戻ってくる主人公、という所だけれど、

直子よりもさらにヒロイン島本さんの実体に謎が多く、後でこの作品の解釈例をいくつか見かけた後、おもむろに重なったのは怪談「牡丹灯篭」。

ただ主人公は、自分を憑り殺しに?現れた島本さん(の幻?)を全く怖れることなく魅かれていって、彼女のために自分が現実社会で得た全て、裕福な暮らし、家庭、店などを捨てる心境だったけれど、

何故かその2人のクライマックス、運命の決断の翌朝、亡霊?島本さんは跡形もなく姿を消し、彼は再び現実に舞い戻った?舞い戻された?のだけれど、

やはりそこは春樹小説、結局、周りの環境、確かに手中にあるものを大切にして人は生きていくのだ、というような前向きなニュアンスは余り感じられず。


しかも、「ノルウェイの森」の脇役女性、レイコはある種の力強さ、意志をもった女性だったけれど、

この作品の脇役女性イズミは、恋人だった主人公に、形として手痛い裏切られ方をしてしまって、その傷をずっと抱えたまま癒されず生きていて、

終盤ただその生気のない表情のままに、主人公の前に一瞬現れて消えていく、これまた一種の生霊のような、何とも救いなく暗い、としかいいようのない描写、というのも輪をかけているかも。


本質にあるのは根深く忘れがたい純愛、といえばそうなのだけれど、日常に潜む普段封じ込めている「心」、それと現実生活とを秤にかけて、そのバランスが崩れて「心」が暴走し始めると厄介な、というか。

タイトルの「国境の南、太陽の西」は、作品中にも出てきて、「国境の南」は元々ナット・キング・コールの同名映画の曲とのことで、

ちょっとどんな曲か?と思ってYou tubeで聞いてみたら、特に陰影、というのは感じられない、明るい感じの曲。

「太陽の西」は、どうも春樹氏の造語らしい「ヒステリック・シベリアナ」、

”毎日毎日畑を耕していたシベリアの農夫がある日突然、自分の中でぷつりと何かが切れたようになり、農具を放り出して太陽が沈む西に向けて死ぬまで歩いていってしまう”という病気、からの言葉で、

「国境の南」には、歌詞で単にアメリカの南=メキシコの歌だと知る前に、何かとても綺麗で、大きくて、柔らかいものがあるんじゃないかと思っていた、とか、

「太陽の西」には、何もないのかもしれない、あるいは何かがあるのかもしれない、と島本さんが主人公に語る場面があって、

それは何か江角マキコ主演だった「幻の光」の、ヒロインの自殺してしまった夫の見たもの、というのもちょっと浮かんだりするけれど。

短絡に思えば、主人公にとっては、子供時代の甘酸っぱい思い出のある少女島本さん(の面影)、自体が「国境の南、太陽の西」にある(かもしれない)もの?で、

「シベリアナ・ヒステリック」さながら、そこに彷徨って行きかけたのだけれど、行き切れず戻って来て、戻ってきた以上、元の場所でやっていくのだろうけれど、というか。


世間的には、好意を持ちあって結婚した妻との間に子供も2人、やり手の義父の恩恵もあって、都内にジャズバーを経営したりしている裕福な主人公、

作品の年代的にもバブルの香りが漂よったりもするけれど、それと対比するような、空虚感ある「心」の在り方。結構な身勝手さ、とも、ある種の現代病、とも斬れそうだけど、

やはり冒頭から、この主人公にとっての島本さんが、単なる浮気相手でなく唯一無比の神聖な存在、として導入、ラストまでそれで押し通して読ませるのが、さすが村上春樹の手腕、というか。

まあとにかく、大分前に買いはしたまま全く内容は不明のままだった作品だけど、確かにさすがに春樹もの、淡々とした文体から滲みでるある種の切ない感触、は味わえたけれど、

どうにもどんよりした後味で、今あえて読むべき類のものではなかったかも。。


a0116217_374833.jpg他に未読、また内容ほとんど忘れている春樹本はあったか?とちょっと本置き場を探ったら、文庫の「カンガルー日和」発見。

これは全く未読か?どうか覚えないけれど、短編集のようで、そう重くもなさそうだし、今度はこれをボツボツ進めることに決定。<(C)(株)講談社↑>

そういう所で、とりあえずずっと未読のまま眠っていた春樹長編、読了でした。

関連サイト:Amazon「国境の南、太陽の西」
関連記事:トニー滝谷(’04)ノルウェイの森(’10)何でも見てやろう / 小田実(’61)

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by MIEKOMISSLIM | 2017-06-19 03:35 | | Trackback | Comments(0)

何でも見てやろう / 小田実(’61)

先日、久方の小田実「何でも見てやろう」読み返し2回目終了。<(C)(株)講談社↓>

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夜寝る前のまあせいぜい10~20分位読書ルーティーンで、1年位前読了のよしもとばななの「デッドエンドの想い出」に続き、この「何でも・・」と銀色夏生「つれづれノート」シリーズを少しづつ。

「つれづれ・・」は、手元にない⑯以降を図書館から借りて進めてきたけれど、「何でも・・」と「つれづれ・・」それぞれの、舞台やメンタル的なマクロ&ミクロバランスが妙に気に入ったり。

「何でも・・」は大分前子供の頃に読んだ時の細かい記憶は残ってなくて、漠然とした感じよりも結構ワイルド、

かつ当時のアメリカ~ヨーロッパ~アジアを体感する若き小田氏の眼光、洞察、ラフなフットワークに満ちてて、半世紀の時を越えてなかなか面白く、2度読み返し。

これが沢木さんの「深夜特急」旅ルーツ、辿れば私の20代後半での初のアメリカフリー旅ルーツの一つでもあり、

まあ同じエコノミー旅でも、沢木旅の方が洗練、落ち着いた語り口、こちら元祖の方が率直、粗野なパワー、という感じ。

フルブライト留学生の試験に受かって、ではあるけれど、どうもそのキャラクターで試験管をケムに巻いたような、で、かなり怪しげな英会話力、序盤大丈夫か?と思わせつつ、

ヨーロッパ圏突入以降も、各国語の語学力?さておきながら、'50~60年代の世界の実態を、かなり乏しい旅費用なりに、まさに何でも体験してやろう的図太いエネルギッシュさ、

当時のアメリカでのあからさまな黒人差別、イスラム圏やインドでのあからさまな貧困~市井の人々や様々な作家、知識人との交流など、盛り沢山。


広い視野のためというような程のつもりもないけれど、こういう世界旅ルポが気分転換、リフレッシュにもいい感じ、と思って、

確かやはり結構前の女性ライターのアメリカルポ本もあった、と、本置き場を探ったら出てきて「吉田ルイ子のアメリカ」だったのだった、と。

当面これと「つれづれ・・」シリーズ、それと、探してる途中でふと見かけた村上春樹本一群の中の「国境の南、太陽の西」、<(C)サイマル出版会、(株)講談社、(株)角川書店↓>

a0116217_23381726.jpgこれは買ってずっと未読のままだった、と思い出し、内容も全く知らず、検索して概要を少しだけチェック、

「吉田ルイ子・・」とも「つれづれ・・」とも被る気配ない春樹ワールドもいいかも、で、先日また春樹本新刊も出てたけれど、これも加えることに。

そういう訳で当分、この3冊が就寝前の友アイテムです。

関連サイト:amazon 「何でも見てやろう」
関連記事:旅する力 深夜特急ノート/沢木耕太郎(’08)アメリカ旅<1><2><3><4><5><6><7><8><9><10><11><12>

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by MIEKOMISSLIM | 2017-04-20 23:43 | | Trackback | Comments(0)

デッドエンドの思い出/よしもとばなな(’03)

近年寝る前に少しづつ、手元の本を読み返す習慣、アンシリーズ、その他のモンゴメリ、サガンときて、サガンのが割と近年のになって、一旦おいて、

ふと傍らにあったよしもとばななの「キッチン」文庫、それに収録の短編「ムーンライト・シャドウ」の甘酸っぱさが何だか懐かしくて、

大分前ブックオフで買ったまま手を付けず未読だったばなな単行本「デッドエンドの思い出」を読みました。


長編かと思っていたら、5編からなる短編集。相変わらずさらさらと読み易い文体で、1日で1篇ずつ進んで、割とあっさり読破。

タイトルでもあり、最後の短編題でもある「デッドエンド・・」のデッドエンド=行き止まり、袋小路、で、

まあどれも、手痛い失恋したり、毒物事件に遭ったり、おさなじみが家庭の問題で急死したり、父の浮気で家庭崩壊したり、婚約者に裏切られたり、という状況の、幸薄いヒロイン達。

でも、彼女らの傍らに、さりげなく、やはり訳ありの過去を持ってたりの男性達が現れて、彼らが醸すほんわりとした癒しのオーラ、

必ずしも恋仲になる訳でなくても、「デッドエンド・・」では、その男、西川君が、「(不誠実な)相手が自分の人生からはじき出されたと思えばいい。」と淡々と、ヒロインの立場にとっての正論を語ったり、

そういう特別な癒しの存在は現れずとも、色んな状況の中での、それぞれの姿勢を肯定的に捉える、何が人にとって「幸せ」か、鷹揚な懐深さの心地よさ、の、久方のばなな節、

まあ初期の作品よりは、あけすけな性(欲)描写がやや鼻についたり、という所もあるけれど、やはりさすが、という感じ。

ばなな本一式を本置き場から取り出して、エッセイ「パイナップリン」「夢について」などパラパラ見たり、「うたかた/サンクチュアリ」なんて特に久方に読み返してみたくなって、

単行本だったか文庫だったか?どこかにはあるはずとは思うけれど、これだけどうも見つからず、楽天ポイントで、文庫を注文。


という所で、買ってから10年でなくとも、少なくとも6,7年以上は経ったか?何だか入手したことで満足して未読だったパターン、久方ばなな本の味わいでした。

関連サイト:amazon 「デッドエンドの思い出」
関連記事:アルゼンチンババア(’07)アルゼンチンババア(’02)よしもとばななキッチン('89)キッチン(’97)

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    <(C)(株)文藝春秋>

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by MIEKOMISSLIM | 2016-05-28 22:28 | | Trackback | Comments(0)

赤毛のアンシリーズ再読・読破

一昨年の年頭から、ふと思いついて読み直しを始めた「赤毛のアン」シリーズ、先日で一通り12冊の文庫読了しました。


手元にあった「赤毛のアン」「アンの青春」に始まって(<(C)(株)新潮社↓>)、

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その後は「アンの愛情」「アンの友達」「アンの幸福」「アンの夢の家」「炉辺荘のアン」「アンをめぐる人々」「虹の谷のアン」は図書館ので、「アンの娘リラ」は手元にあったもの、

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最後の「アンの想い出の日々」上下巻は村岡花子の孫村岡美枝の翻訳、その他は全て村岡花子翻訳の新潮社版で。

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偶然昨年のNHK朝ドラで、村岡花子題材の「花子とアン」も放映、その元になった、村岡花子の娘、村岡理恵著の「アンのゆりかごー村岡花子の生涯ー」なども挟んで、寝る前に少しずつボツボツ辿ってきて、ついに終わりまで。

最初の2冊はやはり馴染み感、その後のは、一度は通ったものもあったと思うのだけれど、手元の「アンの娘リラ」含めてどうも記憶が定かでなく、今回初のものもあったかも知れず、完全に初だったのは、その存在を今にして知った「アンの想い出の日々」。


やはり懐かしさ+ギルバートとの間に6人の子供を持つアンのその後の生活、最後の方では孫まで出現、少女期の夢見がちな性質も保ちつつ、それなりに日々の生活を営んでいく様子、

最初の子供を生まれてすぐ病で、また否応ない戦争で息子を亡くしてしまったり、現実に打ちひしがれる、という、「アン」イメージからは想像つきにくいややシビアな展開もあったり、

その中でもやや特異なのは「アンの娘リラ」で、第一次世界大戦にカナダも巻き込まれ、本土が攻撃を受けたり、ということはないけれど、若者達が出兵を余儀なくされ、

アン一家も2人の息子、リラの恋人などが出兵、現実にさらされ、人々の高揚や不安など揺れ動く心情が描かれている1冊。


また「アンの想い出の日々」も、構成的には、シリーズに見られるパターンの、アン一家に多少なりとも繋がりある人々題材の短編集、なのだけれど、

折々に、アンや、詩の才覚があった戦死した息子ウォルターの詩+それについてのアン一家のメンバーの短い感想や思い、会話などが挟まれている、というのが特徴。

この後書きで、モンゴメリは後年精神的に落ち込むことが多かった、また近年になって、その死因が薬の服用で、自殺の可能性があると公表された、などとあって、それは初耳。

「アンの想い出の・・」は、’42年のモンゴメリの詩の当日に持ち込まれていた、そうで、ウォルターの詩にちなんでその悲しみがしんみり語られる以外は、特に直接戦争に関わる話はなく、

戦争の影と、モンゴメリの精神状態不安定というのが、どう関連あったのかなかったのか?だけれど、シリーズ終盤後年のアンの心情の記述には、やはり生活の中で色々あった中、強い感受性ゆえに辛い部分も見受けられる、という感じ。

これはやはり、序盤のアンシリーズだけだと、溌剌とした少女~信頼し合えるギルバートと家庭を持った女性への成長の物語、止まりで、終盤まで通らなければ知ることもなかった”その後のアン”だったのだけれど、

トータル的には、モンゴメリのアン一家、その周りの人々を、その背景の豊かな自然と共に描いた短編的な物語それぞれが、日常の中の喜び、悲しみ、恋、噂、意地の張り合い、思い込み、誤解、和解、ユーモア、

誰にも顧みられることなく死にゆく老人の、豊かな思い出の数々、など人生の機微的にじんわり味わいあって、飽きが来ない、というか、読み進めていても定番的な安心感、という感じ。


そういう所で、約1年半がかりでのアンシリーズ再読・読破、プリンス・エドワード島の風物含めて懐かしさもあり、”その後の大人のアン”も改めて、

+周囲の人々のそれぞれの人生、それぞれの短い物語の趣もあって、いぶし銀的味わいの楽しみ終了ですけれど、

今後折を見て、いっそモンゴメリのアン以外のもので、エミリーシリーズ(再読)などもボチボチ辿ってみようか、とも思ってます。

関連サイト:Amazon 「赤毛のアン」 「アンの青春」 「アンの愛情」「アンの友達」「アンの幸福」「アンの夢の家」「炉辺荘のアン」「アンをめぐる人々」「虹の谷のアン」「アンの娘リラ」「アンの想い出の日々<上>」<下>
関連記事:アンを探して(’09)SONGS 絢香&「花子とアン」アンのゆりかごー村岡花子の生涯ー / 村岡恵理(’08)

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by MIEKOMISSLIM | 2015-06-17 23:31 | | Trackback | Comments(0)

波の音が消えるまで / 沢木耕太郎(’14)

昨年秋に出た沢木新刊の小説「波の音が消えるまで」を、先日読み終えました。


図書館予約してたのがやっと到着、「血の味」以来の沢木長編フィクションだけれど、今回は上下巻、のボリューム、初めて順番予約というシステムで申し込み、

確かに上巻の方が早く連絡来たのだけれど、多少時間の余裕があって下巻が来るのかと思ったら、その翌日に下巻到着の連絡、

多少下巻の取り置きの猶予はあったし、何とかGW中にどちらも読破出来れば、というつもりだったのだけれど、さすがに沢木本、1日のノルマをこなす感覚をあっさり超えて、引き入れられるように読み進み、先週の内に2冊読了。


元サーファー、カメラマンだった28才の主人公伊津航平が、ふと立ち寄ったマカオで、バカラという博打にのめり込んでしまう、という内容。

序盤、やはり主人公に沢木さん像が重なったり、また航平、という名からルックス的に時折体操の内村航平選手が意味もなく浮かんだりしながら、

題材として、カメラの世界は沢木さんの範疇、とは思うけれど、意外だった片岡義男ばりにサーフィン、また男女間の感情の絡み+肉体関係描写まで、など、

これまでの沢木ものでは覚えなかったジャンル、という目新しさもあったのだったけれど、一番引き込まれたのは、やはり臨場感あるバカラのシーンの数々。

博打についてはこれまでも著書の中で触れられてたことはあったのだけれど、1枚1枚のカードの明けられる緊張の瞬間、その数字の持つ意味、主人公や周囲の賭けた人々にもたらす運命、など、

大仰な描写、という訳ではないけれど、やはり目の前で展開するノンフィクション世界のようなじんわりくる迫力は、さすが、という感じ。

私は全く日常縁のないジャンルではあるけれど、序盤で大体のバカラの仕組み、賭け方など判って、その後、幾度となく出てくる勝負を決めるカードがめくられるシーンの旅に多少なりとも緊張感が。


それまで博打は敬遠していた主人公が、ふと手を出したバカラに魅せられ、謎の達人らしき訳ありの老人、劉から、数の勢い、賭ける際のメンタル面とかアドバイスを受けながら、その世界に入り込んでいって、

最後に彼に残された、バカラ必勝法についてのメモの言葉は「波の音が消えるまで」。その空虚、ともいえる領域までとことん行ってしまうまでの経緯。

その間に、やはり訳あり女性季蘭やアイリーン、ホテルで働く日本人村田明美との出会い、香港のマフィアボスの囲い者だったアイリーンと関係を持ったために危機一髪、

劉が恩義ある大物、林康龍の力で救われ、というちょっとしたサスペンスシーンもあったり、一旦日本へ戻って、やはり帰国していた明美との再会、

いわば異国での通りすがりだった劉と季蘭のため、見返りを求めず金を稼ごうとする姿、一旦離れてたカメラマンの仕事を通してのエピソード、雇い主から明かされた、幼い頃染んだ父とバカラとの因縁、とか、

まあ様々な要素が織り交ぜられながら、ラストへと向かっていくのだけれど、主人公が望むのはやはりバカラ世界の極限、で、自暴自棄というのか、一文無しであわや行き倒れ危機、から、

林康龍の助けで救われたり、もはやここまで、という所から奇跡的なバカラ運に救われたりしても、それを振り払ってしまう、いわば一種のカルト宗教にでも魅入られてしまったような、という収束への進行。


a0116217_2158077.jpg読み終えてから、ふと「深夜特急」序盤で沢木さんは香港に寄ってたのを思い出して、マカオにも行ってたような、と、文庫第1巻を取り出してみたら、やはり「香港・マカオ」編で、

後半のマカオ編では、「波の・・」に出てきたリスボアホテル、水中翼船、大橋、地形など、そのままの舞台でもあったのだけれど、

ざっと読み返してみて興味深かったのは、この時の沢木さんと博奕の絡み。<(C)(株)新潮社→>

沢木さんはその時「大小」という博奕にハマり、このまま続けていれば、ロンドンに行くどころか東京にも帰れず、異国で無一文になって立ち往生、と判っていながら、

>自分がそのような小さな破局に向かってまっしぐらに進んでいるらしいということには、むしろ意外なほどの快感があった。< のような箇所。

実際は沢木さんは、大きく負け越していたのをそこそこの負け越しに挽回出来たことで万足、切り上げて事なきを得て、「深夜特急」旅に向かって、

沢木さんと博奕といえば、色川武大氏との付き合いでのたしなみなど、まあ小説の元になる著者の経験、といえばそれまでだけれど、

マカオでの、博奕の種類は違っても、その時の博奕に”行くところまで行ってしまう快感”への刹那的欲望の感触が、この「波の音が・・」という小説のノンフィクション的ルーツの一部ではあるのだろうと。


沢木さん自身は、(バカラという博奕の)果ての果てまで行ったら、どんな風景が見えるのか?というのを描いた、と語っているけれど、

   

その極値まで行ってしまった主人公の終盤が、劉や季蘭と同様の罪を背負う運命か?救いの女神、のような明美の出現含め、やや夢かうつつか?という茫洋とした曖昧さ、でフェイドアウトなのは、

沢木さんがフィクションならでは可能な、ある種の純粋さへの救済、あるいは愚かさゆえの破滅、の余地を、読者に委ねたのか?

そういう”夢うつつ”にも、幻にしても現実にしても、それぞれの可能性での現実的な状況の裏付け記述などがちらほらあるのは沢木作品らしい、というのか、だけれど、

そういう折々のノンフィクション風味によって、ますます有り得ないか?有り得ることか?判断し難い、というのもやはり沢木作品の味わいなのだろうと。


そういう所で、動画にもあったように、沢木さんの初のエンタメ長編小説、でもあったのだったけれど、マカオ、東京、ハワイ、バリ島など舞台にサーフィン、カメラ、そして沢木作品にしていつになく女性絡み描写も踏み込んでいて、

何よりバカラ、という小世界での様々な心理、感情の揺れ動きなど含んだ臨場感を軸に、読み応えあった沢木さん新刊でした。

関連サイト:Amazon 「波の音が消えるまで 上巻」「波の音が消えるまで 下巻」
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          <(C)(株)新潮社>

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by MIEKOMISSLIM | 2015-05-06 22:58 | | Trackback | Comments(0)

KAGEROU / 齋藤智裕(’10)

水嶋ヒロが本名齋藤智裕名義で書いて、ペンネーム齋藤智で応募、一昨年、第5回ポプラ社小説大賞だった「KAGEROU」を、遅ればせながら読みました。

大分前に図書館に予約してあったのが、先日、忘れてた頃に通知。文章自体は読み易く、後味的には、まあ水嶋ヒロ、と知らず、新人作家の受賞作を読んだとして、そこそこ好感触、という所。


自殺志願者の主人公に、間際の所で絡んでくる、ドナーを探してはその「命」をレシピエントに”再利用”している医学的に超高度なテクノロジーを持つ秘密会社、というファンタジー。

まあ「命」を扱う内容として、今時のギャク的な科白とか、自殺しようとする者に、いくら生きる意義を説いても無駄、

ならばむしろ、生きたい、と願う病人に、その身体の機能をシフトして、生かすべき、のような、端的な割り切り方、とか、軽さ、は否めないけれど、

リストラ、借金苦の事情ある、自殺を邪魔された主人公ヤスオが、その会社の一員京谷から、ビジネスライクに提示された、遺族に渡る結構な金額、に心を動かされたり、

”脳”だけは、どんなに状態が良くても査定のポイントにはならない=心や魂、はゴミ同然、のような部分とか、その「軽さ」が、今のモノがものをいう物質主義、無機的な空気感、のようなものを突いてる、というか。


またそういう無機的感、に加えて、後半、ヤスオが事務的な”旅立ち”への準備の中で、彼なりに感じていく寂寥感や、レシピエントの一人、少女茜との出会いで、

”人を愛するということはその人のために生きることであり、同時に死ねることだ”と気づいて、自分の人生の意味、を感じられた、というくだり、

そして終盤、そのゴミ箱行きのはずだったヤスオの”脳”が、巡り合わせで京谷の中に息づいて、茜への切ない”心”を見せたあたり、など、

純文学、純愛もの、のようなテイストもあったのが、後味、好感度にも影響、とは思う。


そして、そういう終盤の純愛モード的には、これを書いた齋藤智裕=水嶋ヒロの、結婚の頃からメディアを通して目にしてきた伴侶絢香へのスタンスのイメージと、そうズレがない、というのも、思えばまあ感覚的(というか生理的)ポイントの一つ。

そういう面もあって、この小説がもし映像化なら、と思ったら、やはり主人公ヤスオ=水嶋ヒロ本人が浮かび、小心かつ大胆さ、投げやり、洞察力、知的な部分、今時のラフさ、など、そう違和感なく、

つかみ所のない京谷役に、反射的に浮かんだのは大沢たかお、茜役の女優、というのはちょっと思いつかず。


そういう所で、今にして、の一時期の話題本読書。この評価はまちまちらしいけれど、前述のように、新人作家の処女作、として、思ったより悪くなかった、次作が出たら、とりあえず読んでみたいと思う、という所でした。

関連サイト:Amazon 「KAGEROU/齋藤智裕」
関連記事:GSワンダーランド(’10)BECK(’10)

             (C)(株)ポプラ社
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by MIEKOMISSLIM | 2012-12-06 23:34 | | Trackback | Comments(0)

ポーカー・フェース / 沢木耕太郎(’11)

3日前、昨年秋発行の沢木耕太郎新エッセイ集を読み終わりました。沢木作品は、やはり昨年秋に読んでた旅ルポの「一号線を北上せよ」以来。

この「ポーカー・・」は、旅の話も出てくるけれど、特に旅に焦点、という訳でない13編収録。あとがきでもあったように、こういうスタイルのエッセイ集は「バーボン・ストリート」「チェーン・スモーキング」入れて3冊目、

手元の「チェーン・・」単行本で確かめたら、この発行は'90年、ほぼ20年を経て、ではあるけれど、やはり定番文体、というか、本人の興味に引っ掛かった題材への沢木目線での展開、読み易く安心して味わえた、という感じ。


印象的だったのは、ブラディ・マリーという酒にまつわる「マリーとメアリー」で、阿久悠作品として「五番街のマリーへ」を挙げてて、

NYの五番街なら、友人が指摘するようにマリー、でなくメアリー、ではないか、でも日本人はメアリーよりマリーの方に親しみがあるので、阿久悠は、確信犯的に、マリーにしたのだろう、

でも終盤で、彼女はマリという日本人で、愛称としてマリーと呼ばれていただけかもしれない、などと、ブラディ・マリーの名の由来同様、「五番街・・」の「マリー」考察。今にして、だけれど、このスタンダード曲もそう言われてみれば、という所。


また「言葉もあだに」で、「あしたのジョー」で、矢吹丈が良く吐く科白に「うぬ!」「おのれ」などがあって、現代青年としては妙だけれど、これは原作者の梶原一騎が昭和11年生まれで、そういう時代の背景にあった大衆小説的な世界観ではないか、とか、

旅の途中バスで中国人の少女と話してて、宮崎作品の話になって、好きな作品を聞かれて沢木さんは「風の谷のナウシカ」を挙げ、

この作品でも、かわいい顔をしたナウシカが、部屋に駆け込むと父が銃で撃たれ事切れていた時、それまでのソフトな語調から一変、「おのれ!」と叫ぶシーンに、梶原一騎より5才年下の宮崎監督にも、どこかに大衆小説、映画に通じる回路があるのかもしれない、などという考察。


映画話では他に、「なりすます」の中で、マーク・ピーターセンという人が著作の中で、「ローマの休日」のアン王女とジョーは「淡い関係」だけで別れたのではない、という説。船上パーティの大立ち回り~ジョーの部屋のシーンの間、というのを指摘、という件。

取ろうと思えばそう取れなくもないけど、やはり沢木さんが疑問を投げてるように、「淡い関係」でなかったとして、ジョーが記者会見に出る(ほど無神経)だろうか、で、余り信憑性はないと思うけれど、まあちょっと一瞬思い返したり、

たまたま私の引っ掛かったのは、そういう所だけれど、色々興味の幅広さ、など改めて。


沢木さん自身のネタとしては、その「なりすます」は、井上ひさしがかつて地元の山形で、井伏鱒二に会ったけれど、それは”偽者”、でも土地の青年の持ってきた小説を読んで、実に的確な批評をしてた、のような内容だけど、

それより印象的だった、大阪のミナミのバーに、沢木さんの偽者が出没、そこのママと懇意になってて、ぷっつり顔を見せなくなったので、上京して”本人”に連絡してきて、別人と判明、というエピソード。

沢木さんは真偽をはっきりさせた方が、と、そのママと面会。冗談半分に「その、偽者の沢木という人はいい男なんですか」と聞いたら、間髪いれずきっぱり「それはもう!」と答えられて、その偽者氏に奇妙な敗北感を覚えた、のような話。

その人は沢木さんの作品は読んだ事もなく、何者であるかほとんど知らず、とのことで、多分ただちょっと名のしれた実在の作家、という所で騙されていたようで、

思えば、メディア露出の多い有名人、とかでなければ、特にファンでもなければ、芸能人という訳でもないし、実際作家の人の顔って謎、というのも、自然かも。

だからと言って、ぬけぬけと偽者を演じる、というのも、愉快犯的な所もあるかもしれないけれど、大胆な詐欺行為。その偽物は、沢木さんの名を利用して無銭飲食、とかはなかったそうで、まあ著名度あってのことだけれど、偽沢木氏も出現したのか、と。

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a0116217_138761.jpgそれと、「挽歌、ひとつ」で、尾崎豊の事などにも触れてたけれど、主に、交流あった故高峰秀子さんについて書いていて、

生前、沢木さんの映画評について、「あんなことをしてる間があったら、もっときちんとした作品を書いてください。『深夜特急』のように顔がむくんじゃうような長いものをね」などと、「苦言」を呈された、というような所。
                                        
少し前本置き場で、別の本を探してて、昨年図書館の単行本を読んだばかりの「一号線を北上せよ」文庫を発見、持っていたのも忘れてて、収録内容は単行本の半分程、ベトナム旅関連エッセイだけだったのだけれど、

その最後に、沢木さんと高峰さんの「旅が教えてくれたこと」という対談が載ってて、ざっと読んでみたら、冒頭高峰さんが、「イルカと墜落」でのヘリ墜落事故の後遺症について心配してて、治療してない、と言う沢木さんに、

「(「痛い、痛い」ということを)面白がらないで、ちゃんと治して下さい、そうしないとね、ハタ迷惑です。誰が迷惑するかっていうと、家族が迷惑します・・」のように忠告、沢木さんが「はい、わかりました(笑)」と受けてて、

こういう風に、沢木さんに執筆活動、家族のことまで踏み込んで、あっさり意見してるのって、覚えある限り、この人だけ、だったような。


家族と言えば、少し前、沢木さんと若い女性が一緒に飲食店に入ったり歩いてるのを、マスコミ関係者が、あらぬ仲?と疑ったら、2人は沢木家に入っていって、娘さんだった、とかいう記事を見かけたけれど、

「恐怖の報酬」で、娘さんが少しだけ登場、小学生だった頃、「結婚するとしたら、絶対ゴキブリ退治できる人じゃなきゃだめ」と言ってたのが、先日、ふと思いついて確かめてみたら「そんなことが結婚の条件になるはずがないじゃない」と一蹴された、という部分。

特にそれが浮いてた、という訳ではないけれど、父題材のルポ「無名」はあっても、沢木エッセイでの、家族エピソード、というのはこれまで覚えなく、沢木さんの年輪の積み重ね、という表れなのかとも。


そういう所で、今回も、折に興味引っ掛かる部分もあり、前途のように、やはり割とスムーズに読み進み、味わえた沢木新刊でした。

関連サイト:Amazon 「ポーカー・フェイス」
関連記事:世界は「使わなかった」人生であふれてる(’02)血の味(’00)「愛」という名を口にできなかった二人のために(’07)銀の街から(’07、12月)(’08、1月)(’08,2月)(’08、3月)(’08、4月)(’08,5月)(’08、6月)(’08、7月)(’08、8月)(’08、9月)(’08、10月)(’08、11月)(’08、12月)(’09、1月)(’09、2月)旅する力 深夜特急ノート/沢木耕太郎(’08)LIFE 井上陽水~40年を語る<1>SONGS 財津和夫<1>/井上陽水<1>~<4>人の砂漠(’77)映画化人の砂漠(’10)あなたがいる場所/沢木耕太郎(’11)イルカと墜落/沢木耕太郎(’02)一号線を北上せよ/ 沢木耕太郎(’03)SONGS 高橋真梨子<2>SONGS 高橋真梨子

             (C)(株)新潮社 
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by MIEKOMISSLIM | 2012-03-09 02:09 | | Trackback | Comments(0)

きことわ / 朝吹真理子(’11)

今年初旬、芥川賞の新聞記事で、受賞者朝吹真理子は、その大叔母が、馴染みだったサガン作品の翻訳者朝吹登水子さん、またその兄で「私自身のための優しい回想」翻訳の朝吹三吉氏の孫娘、と知って、遺伝子繋がり的にも読んでみたい、とチェックしてた作品。(’10年度ベスト5作品/DVD・ビデオ・放映・上映会鑑賞<2>

大分前図書館で予約、先日通知が来て、英検2次試験翌日が取り置き最終日で入手、読み終わりました。この人のデビュー作「流跡」('09)も夏頃読みかけたのでしたが、抽象的な文が延々連なり、その時の自分のモードにも余り合わず、4、5分の1程読んで止め。

この「きことわ」は、数段読み易かったですが、やはり英検発表まではどうも気忙しさもあって、目が字面だけを追ってた感じで、発表後一息ついて、改めて読み返し。


タイトル「きことわ」は幼馴染みの「貴子」「永遠子」の名からで、貴子の家の葉山の別荘の管理人が永遠子の母だった、という関係で、その別荘が売却される事になって、8才、15才だった頃以来25年ぶり、33才、40才になっての再会。

貴子は独身で中学で国語を教えてて、近年修羅場もあった恋愛の破綻、今父と二人暮し、というごくあっさり背景描写、永遠子は小3の娘がいる主婦、でも再会後も、当時のように自然に「きこちゃん」「とわちゃん」と呼び合う2人。


縦軸がそういう時間の流れの行きつ戻りつ、でも印象的だったのは、全編に折々見られた、永遠子の趣向の理科系の知識の、非日常な遠い過去や未来の話。

高1生にしてはマニアック、とは思いましたが、海岸での地層が~百万年前どういう風に出来て名が~、とか、~億年前の古生代の生物、逗子市の形が、その1つ”ダンクルオステウス”に似てる、とか、

北極星は、今は小熊座だけれど、8千年後には白鳥座のデネブ、1万2千年後には琴座のベガになる、などと図鑑で娘に教えてたり、貴子と満月を見ながら、月は1年に3.5cmずつ地球から遠ざかってる、など。


また、それと対照的な日常の、幼少時の海岸への弁当の中身、貴子の母がよく買った、という干物、再開後の2人の生活、会話の中の、蓮根の甘酢漬け、鱈鍋、その具の買い物などの描写。

2人が別荘でカップヌードルの3分を待つ間、整理してた本に、宇宙のおおまかなところは3分間でできた、というようなタイトルがあった、などと話してたり、日常30~40代年女性同士の会話、からしたら、異質スケールな飛び方。


異質スケール、と言えば、そういう地質、天文学的な話や、日常的な食べ物の描写もありつつ、2人がそれぞれその別荘や街中で体験する、何者かの力によって、不意に背後から髪を引っ張られ、そのお陰で身の危険を回避出来た場面も、というような”もののけ”的な出来事、

再会前の夏の同じ日に、浴衣を着て葉山の海岸にいた永遠子を、渋谷のBunkamuraで、まさにその同じ柄の浴衣姿で見かけた、という貴子の話。それも、一階から地下一階を通るエレベーターですれ違った、と、具体的。

現実的ではないけれど、2人共人違い、とも思えず、自然に交わす「あの浴衣、とても似合ってた」「ありがとう」というような会話。


そういう、ミクロ&マクロな時間の流れ、2人が姉妹のようにじゃれ合い親しんだ少女期~30,40代女性への変換で経た、恋の破綻や家庭を持ってて、それぞれの母達の人生模様とか、携帯なども使うリアルな背景&やや非日常オカルト的な出来事、とかが淡々とした文体でブレンド。

確かに移り行く、時の流れ、女性2人の息遣い。でも別に同性愛的でも、互いの優劣を牽制し合ったり張り合う場面もない、幼少時からの延長の自然な2人の交流、というのも何処かファンタジック。

特別何が起こるという訳ではないけれど、やたらに何か起こらなくても、悠久の時の流れの中にあって、人生は十分豊かで、謎めいた事も起こったりする、というベースなのか、何だか、やたらエキセントリックな何かが起こる話、よりは私は好感。

葉山~逗子という穏やかな背景、世知辛さのない現実っぽさ+ファンタジー要素が入り混じったユニーク作、かも。

特に作風、文体とか朝吹登水子さん~サガンの影、のような印象もなかったですが、久方に読んだ女性作家小説、でもあって、やはり英語にはない日本語の流れの繊細な美しさ、というのも改めて、という後味でした。

関連サイト:Amazon 「きことわ/朝吹真理子」
関連記事:サガン 悲しみよこんにちは(’08)英検対策('09/6/8)’09年度ベスト5作品/DVD・ビデオ・放映鑑賞’10年度ベスト5作品/DVD・ビデオ・放映・上映会鑑賞<1><2>サガン 疾走する生(’09)

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by MIEKOMISSLIM | 2011-11-29 16:10 | | Trackback | Comments(0)

一号線を北上せよ/沢木耕太郎(’03)

これは2ヶ月程前に読んでいた沢木本。8編からなる旅ルポで、タイトルの「一号線」はベトナムの国道、バスでそのルートをホーチミン~ハノイへと北上する旅で「ヴェトナム縦断」編からでした。

これは、この前に読んだ「イルカと墜落」('02)でのアマゾン奥地の次の旅で、プロペラ機墜落で炒めた腰や背中に、悪路でのバス旅行がリハビリ的に効くのでは?という、冗談も含まれた沢木さんの思い込み、から実現、という流れもあったようで。

その他、それ以前のホーチミンへの旅、ロバート・キャパ縁のパリ、世界へヴィー級タイトルマッチ取材のアトランティック・シティ、壇一雄縁のポルトガル、アルペンスキーのワールドカップ取材のアルプス、「深夜特急」旅らしい道中で美味だった思い出の貝とワインの酒場を探すスペイン、など。


読んだ当時は、それぞれ残るものもあったけれど、今振り返って印象的なのは、やはりベトナム中心に、沢木旅特有、というか、安くて美味しい(美味しそうに思える)食事、屋台や小さな食堂、ホテルバイキングなどでの、フォー、炒め物、スープ、ご飯など。

スペインは「深夜・・」旅も終盤だったけれど、そこの酒場で老人シェフが出してくれた、マラガ風貝の刺身+ワインが、「1年に及ぶ旅の中で、こんなに美味しいものを食べたことはなかった」、とあって、それが百円にも満たない値段だった、とか。


それと、ベトナム編で、ニャチャンでの逸話。茶色い髪の小柄な日本人女性とすれ違い、彼女が追いかけてきて「日本の方・・ですか」と話しかけてきて、沢木さんをカメラマンと間違えてるようで、ちょっと旅の予定など話をした後別れ、

印象的だったのは、その彼女についての、5,6行の記述。その後食事をしながら、「さっき会った女性を食事に誘ってあげればよかったかな、と思いはじめた。彼女も、ひとりで食事をするのかもしれない、あるいは、それが寂しくて声を掛けてきてくれたかもしれない。

しかし、すぐに、いや、と思い返した。ひとりの方が何かが起こる可能性がある。私と日本語でしゃべりながら食事するより、他の誰かと関わり合うチャンスを逃さない方がいい。元気そうな女性だった。彼女は大丈夫だろう・・・。」

こういう辺り、女性との距離感描写、が、何と言うか安心して沢木本を読める一因。様々な男一人旅の中で起こる、一部始終を書いてる、という訳ではないかもしれないけれど、独身時代だった「深夜特急」でも、女性とのアバンチュールめいた箇所は覚えなかった。

ドラマ化では、松嶋奈々子演じる恋人が、お金を届けがてら、フランスに会いに来る、みたいなシーンがあって、これはドラマ風に花を添える、といっても、やはり、現実のままだったか?さておき、実際そういう相手はいたのだろう、「深夜・・」はその相手に向かっての手紙、の趣もあったのでは、とは思ったのだけれど、

妻帯者の身、としても、沢木エッセイに、自分の家庭のことも書かない、でもそういう女性とのエピソード的な記述もないのは、根本的に配偶者への誠実さ、また少なくともその人への礼節、または読者への礼節、人としてのフラットさ、ではないかと思ったり。

沢木さんの妻の方、のスタンスや性分など知る由もないけれど、このニャチャンで遭遇した女性についての、この文を読んで、何も思わなくはないにしても、そう心煩わされる、という事もなさそうな、とも思うし、この当の女性が後に読んだとしても、傷つかないだろう、と。

そういう、この人のスタンス、というのが、確かに沢木本への好感の1つ、と改めて。


でも今日この「一号線・・」関連検索してて、ふと、沢木さんと藤圭子との過去、という記事を目にして、それは初耳。藤圭子、と言えば、そう言えば、「旅する力」('08)で、「深夜・・」旅の後日談、の一部で、パリの空港での遭遇エピソードがあって、それは沢木さんが彼女の1ファンだったから、かと思ってたら、そういう経緯が、と。

あの旅終盤では、まだ沢木さんは無名のルポライター、藤圭子は、前川清と離婚後、でもまだスターオーラの頃で、そういう噂の前段階で、ふと異国で遭遇、の一場面だったのだった。

最初見かけた記事では、沢木さんに妻子がいながら、彼女に密着取材しているうちに恋人関係に、という話だったけれど、何か違和感あって、少し検索してたら、どうも時期的に沢木さんの結婚前の話、のようで、

結局沢木さんは、その後、「深夜・・」の頃からの恋人?なのか、一般人の人と結婚、NYにいた藤圭子は宇多田氏と出会って結婚、宇多田ヒカル誕生、の流れ、だったようで。

その「旅する力」での遭遇エピソードも、何だか今の奥さんが、また恋人説が本当なら、あの空港での青年が沢木さんだった、と知ってる藤圭子自身が今読んでも、特に問題なさそうな、という、淡々とした描写。

沢木さんのスキャンダルらしきものを知ったのは、これが初めてだったけれど、その相手が”藤圭子”、というのも、結局一般人と家庭を持った、というのも、まあ思えばこの人らしい、という気も。

でも余り、そういう部分、特にリアルタイムな部分をあえて知りたい、とも思えないし、健さん同様、沢木さんブログもtwitterもないようで、良かった、と思うのです。

関連サイト:Amazon「一号線を北上せよ/沢木耕太郎」
関連記事:世界は「使わなかった」人生であふれてる(’02)血の味(’00)「愛」という名を口にできなかった二人のために(’07)銀の街から(’07、12月)(’08、1月)(’08,2月)(’08、3月)(’08、4月)(’08,5月)(’08、6月)(’08、7月)(’08、8月)(’08、9月)(’08、10月)(’08、11月)(’08、12月)(’09、1月)(’09、2月)旅する力 深夜特急ノート/沢木耕太郎(’08)LIFE 井上陽水~40年を語る<1>SONGS 財津和夫<1>/井上陽水<1>~<4>人の砂漠(’77)映画化人の砂漠(’10)あなたがいる場所/沢木耕太郎(’11)イルカと墜落/沢木耕太郎(’02)

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by MIEKOMISSLIM | 2011-11-20 23:45 | | Trackback(1) | Comments(0)
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’09年1月末AOL映画掲示板、ブログが終了、気分新たにマイペースで、音楽・芸術鑑賞、ユーミン関連、読書、英検1級対策、グルメ、仕事等含めて書いてます。英検は’11年11月に無事合格達成出来ました!


by MIEKOMISSLIM
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